勝田杉山神社|延喜式神名帳所載の武蔵国都筑郡杉山社の論社
勝田杉山神社の概要
勝田杉山神社は、横浜市都筑区勝田町にある神社です。勝田杉山神社は、延喜式神名帳所載の武蔵国都筑郡杉山社ではないかと考えられている論社の一つです。勝田杉山神社の創建年代等は不詳ながら、旧都筑郡域に多く祀られている杉山社の一つで、応永年間(1394-1427)の銘が入った鰐口があったといいます。明治6年村社に列格に列格、明治44年村内にあった日枝神社・神明社を合祀、大正15年神饌幣帛料供進神社となったといいます。
社号 | 杉山神社 |
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祭神 | 五十猛命・日本武尊 |
相殿 | - |
境内社 | - |
住所 | 横浜市都筑区勝田町1231 |
祭日 | 10月19日 |
備考 | - |
勝田杉山神社の由緒
勝田杉山神社の創建年代等は不詳ながら、旧都筑郡域に多く祀られている杉山社の一つで、応永年間(1394-1427)の銘が入った鰐口があったといいます。明治6年村社に列格に列格、明治44年村内にあった日枝神社・神明社を合祀、大正15年神饌幣帛料供進神社となったといいます。
新編武蔵風土記稿による勝田杉山神社の由緒
(勝田村)
杉山社
除地、五畝、此外免田三段四畝、村の乾の方にあり、本社二間半に二間、拝殿三間に二間、本社に作りそへて東にあり、神體は不動木の立像にて長八寸なるを安置す、又八幡稲荷を合殿に置り、例祭は年々八月二十一日村の鎮守にて村民の持なり、當社の勧請は傳へざれど、應永の鰐口を社前に掛く、其圖上にのす、かかるものあれば古社なるよしいへど、うかかいがたし、猶橘樹郡下菅生村の條合せ見るべし。
山王稲荷合社
除地、二畝、村の中央にて乾の方に向ふ、村民の持なり
太神宮稲荷合社
除地、二畝許、村の東にあり、村民の持
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(下菅生村)御嶽社
蔵敷の内字犬蔵にあり、宮作りにて上屋あり、例祭年々九月二十九日神楽を奏す、勧請の年代を傳へず、按に多磨郡勝田村杉山神社に古き鰐口あり、其文に敬白蔵王権現武州下多東郡菅生大蔵應永五六月道圓としるせり、この鰐口をかの社の物なりといへど疑ふべし、恐くは當社のものにていつの頃よりか故あつて杉山の社にかけしものならん、この御嶽社は多く蔵王権現をまつりしものにて、字犬蔵の地なるを以てをもへば、菅生大蔵とあるは全く犬蔵の地なるを、あやまり書せしものなるべし、又今は此村橘樹郡に屬しぬれど、古へは多磨郡の内なることもしらる、地界もまた多磨の内とをもはるれど、いつの頃よりか當郡にいれり、寳蔵寺持。 (新編武蔵風土記稿より)
神奈川県神社誌による勝田杉山神社の由緒
由緒不詳であるが、天保九年八月十七日及び大正十五年十月社殿を改築、同十五年十一月指定村社に列せられた。(神奈川県神社誌より)
勝田杉山神社の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿