香集寺。足柄上郡山北町にある曹洞宗寺院
香集寺の概要
曹洞宗寺院の香集寺は、如意山と号します。香集寺は、僧永相(長享元年1487年寂)が当地にあった観音堂に応仁元年(1467)寄宿、幽邃を愛でて一滴庵と号して創建・開山、その後僧宗孝(天文2年1533年寂)が末寺を配置し、当寺を香集寺と改号したといいます。
山号 | 如意山 |
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院号 | - |
寺号 | 香集寺 |
住所 | 足柄上郡山北町向原2501 |
宗派 | 曹洞宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
香集寺の縁起
香集寺は、僧永相(長享元年1487年寂)が当地にあった観音堂に応仁元年(1467)寄宿、幽邃を愛でて一滴庵と号して創建・開山、その後僧宗孝(天文2年1533年寂)が末寺を配置し、当寺を香集寺と改号したといいます。
「山北町史通史編」による香集寺の縁起
香集寺
足柄下郡久野村(小田原市)の総世寺の末寺であり、応仁元年(一四六七)永相がこの地の観音堂に寄宿し、その幽邃をめでて堂宇を起立したという。寺の後に懸泉があるので一滴庵と号し、如意輪観音を本尊としたため、如意山と号した。永相を開山とするが、宗孝(天文二年〈一五三三〉死去)を再(中)興開山という。(「山北町史通史編」より)
新編相模国風土記稿による香集寺の縁起
(川村向原)
香集寺
如意山と號す、曹洞宗、(足柄下郡久野總世寺末、)應仁元年、僧永相(長享元年二月九日寂、)此地にありし觀音堂に寄宿し、遂に其幽遂を愛して、堂宇を起立す、寺後にある懸泉あるをもて、一滴庵と號し、如意輪觀音を安ずるを以て、(後此像は、村内の末寺宗福寺に移して本尊とす、)如意山と號す、(所蔵禅林類聚、開山永相が自書の奥書にも此事を載す、其文は下寺寶の條に註記す、)其後僧宗孝、(天文二年正月九日寂、)本山の末寺自觀、(寺跡境内の傍にあり、今陸田なり、)青松(寺跡詳ならず、)の兩寺を配して、此一寺となし、今の寺號に収むと云、故に相を開山第一祖とし、孝を再興開山と稱す、本尊釋迦を安ぜり、又地蔵を置、(長六寸五分行基作、)
【寺寶】禅林類聚二十巻。三本缺佚す、開山永相が書寫せし物なり、同く奥書あり、
(曰、楊州雍熙禅寺住持嗣祖比丘道泰、天寧禅寺首座比丘智境集、貞治六年丁未解制日幹縁僧希果刊于京臨寺、余應仁元丁亥年、不圖此地来詣、見有少堂、拝如意輪觀音像、殊勝境地也、依築小宇、用觀音號如意山一滴庵住居、予宗楞嗣法、無方書、按ずるに、無方は永相が號なり、)
△鐘樓。鐘は天保四年の鑄造なり、(享保八年再鑄の銘を刻し、末に寛永三年新に鑄造せし時の願主の交名を彫す、)
△白山社
△愛宕社
△禅堂
△衆寮(新編相模国風土記稿より)
香集寺の周辺図
参考資料
- 「山北町史通史編」
- 新編相模国風土記稿