五所神社。足柄下郡湯河原町の神社

猫の足あとによる神奈川県寺社案内

五所神社。当地が開拓された際に創建、土肥郷の総鎮守

五所神社の概要

五所神社は、足柄下郡湯河原町にある神社です。五所神社は、天智天皇の代に加賀国の住人二見加賀之助重行らにより当地が開拓された際に創建、土肥郷(吉浜、鍛冶屋、門川、堀ノ内、宮下、宮上)の総鎮守として神代五柱の神霊が祀られたといいます。源頼朝が挙兵した際には、社前で必勝祈願の護摩をたいたと伝えられ、歴代領主の崇敬が篤かったといいます。明治6年村社に列格、明治45年無格社熊野神社・八幡神社を合併、昭和19年郷社に列格しました。

五所神社
五所神社の概要
社号 五所神社
祭神 天照大神、天忍穂耳尊、瓊瓊杵尊、彦火出見尊、鵜鸕草葺不合尊、誉田別尊、素盞嗚尊、伊弉諾尊、伊弉冊尊
相殿 -
境内社 山神社、湯河原頌徳社
祭日 8月1・2日
住所 足柄下郡湯河原町宮下359-2
備考 -



五所神社の由緒

五所神社は、天智天皇の代に加賀国の住人二見加賀之助重行らにより当地が開拓された際に創建、土肥郷(吉浜、鍛冶屋、門川、堀ノ内、宮下、宮上)の総鎮守として神代五柱の神霊が祀られたといいます。源頼朝が挙兵した際には、社前で必勝祈願の護摩をたいたと伝えられ、歴代領主の崇敬が篤かったといいます。明治6年村社に列格、明治45年無格社熊野神社・八幡神社を合併、昭和19年郷社に列格しました。

境内掲示による五所神社の由緒

当社は、今からおよそ千三百有余年前第三十八代天智天皇の御代加賀の住人二見加賀之助重行らの手によってこの地方が開拓されたとき土肥郷の総鎮守として祀られ、治承四年(一一八〇年)八月、源頼朝伊豆より挙兵の時、この地の豪族土肥次郎実平は一族と共にこれを助けて頼朝の軍を土肥の館に導き、石橋山合戦進発の前夜は、社前において盛大な戦勝祈願の護摩をたいたといわれています。以来、土肥一族を始め藩主、領主、庶民の崇敬厚く、現在に至っております。明治六年七月二十日旧足利県令により神饌幣帛料供進神社に指定、昭和十九年七月二十二日神奈川県令により郷社に昇格、昭和四十三年一月二十四日神奈川県神社庁より献幣使の参向する神社に指定される。(境内掲示より)

神奈川県神社誌による五所神社の由緒

社伝によれば、天智天皇の御宇加賀の国の住人二見加賀之助重行らの手によりこの地方が開拓されたとき創立され、土肥郷(吉浜、鍛冶屋、門川、堀ノ内、宮下、宮上)の総鎮守として神代五柱の神霊が祀られ土肥一族を始め藩主、領主、庶民の崇敬厚く、かつて康平三年(一〇六〇)源義家奥羽征討に際し社家荒井刑部実継神霊の加護により戦功を立て、治承四年(一一八〇)八月源頼朝伊豆に挙兵の時、郷頭土肥次郎実平主公のセめに戦勝を祈願し佩刀を納めた。元和七年(一六二一)代官守屋佐太夫社殿を再建、寛永十三年(一六三六)地頭松平美濃守、ついで寛文元年(一六六一)地頭稲葉美濃守社殿を再建、元文五年(一七四〇)地頭大久保出羽守社殿を修覆した。祭祀の厳修には領主、名主の奉幣行事、氏子一同の鹿島蹄の奉納があり、明治六年七月旧足柄県指令により村社に列格、明治四十五年四月十二日湯河原及宮下の無格社熊野神社及八幡神社を合併し大正四年十一月神奈川県告示により神饌幣帛料供進神社に指定された。昭和三年御大典記念事業として上・中段玉垣の建設並社務所を新築、昭和八年七月神輿を新調、昭和十五年皇紀二千六百年記念事業として社殿を後退改築、本殿透塀並川縁大玉垣の新設、昭和十九年七月二十二日神奈川県指令により郷社に昇格した。昭和二十二年神社制度の変革の後、新幹線工事並神社前県道拡幅工事のため境内二六坪余縮少きれたが、正面参道に大社号標、大灯篭、水舎、国旗掲揚塔等奉納された。更に境内社湯河原頒徳社の移転も完成した。境内外項に整備充実し欝蒼たる広大な神域に生茂る巨大な御神木の示現により神徳著しく長寿長命の信仰あまねく湯の産土神として崇敬され東海道新幹線開通と区画整備事業の完成と共に町の発展著しく氏子崇敬者は年毎に急増し最早三千を越え奉賛の誠により社頭の内容外観共に整備され、崇敬の念も高まり昭和四十三年一月二十四日神奈川県神社庁より献幣候の参向する神社に指定された。(神奈川県神社誌より)


五所神社所蔵の文化財

  • 五所神社本殿(神奈川県指定文化財)

五所神社の周辺図


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