愛甲熊野神社。康暦2年銘の石灯籠
愛甲熊野神社の概要
愛甲熊野神社は、厚木市愛甲にある神社です。愛甲熊野神社の創建年代等は不詳ながら、康暦2年(1380)銘の石灯籠が奉納されていることから、室町時代初期には既に鎮座、愛甲村の鎮守として祀られ、徳川家康関東入国後の天正19年(1591)には社領4石の御朱印状を受領しています。
社号 | 熊野神社 |
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祭神 | 伊弉冊命、四方津事解男之命、速玉男命 |
相殿 | - |
境内社 | - |
祭日 | 例大祭9月28日 |
住所 | 厚木市愛甲795 |
備考 | - |
愛甲熊野神社の由緒
愛甲熊野神社の創建年代等は不詳ながら、康暦2年(1380)銘の石灯籠が奉納されていることから、室町時代初期には既に鎮座、愛甲村の鎮守として祀られ、徳川家康関東入国後の天正19年(1591)には社領4石の御朱印状を受領しています。
新編相模国風土記稿による愛甲熊野神社の由緒
(愛甲村)
熊野社(天正十九年社領四石の御朱印を賜ふ)
村の鎮守、木像を置、本地十一面観音、例祭九月朔日、天正十九年社領四石の御朱印を賜ふ社前に康暦年間の石燈籠あり、圖左の如し、
末社。神明、白山、八幡、吾妻
鐘樓。享保十七年鑄造の鐘を掛
別當寶蔵院。日光山愛甲寺と號す、本山修驗(小田原玉瀧坊配下)本尊不動もとは社傍に庵ありて社守を置しが今廢す、(新編相模国風土記稿より)
神奈川県神社誌による愛甲熊野神社の由緒
新編相模国風土記稿に「村の鎮守木像を置、本地十一面観音天正十九年(一五九一)社領四石の御朱印を賜ふ社前に康暦年間の石燈籠あり、鐘楼享保十七年(一七三二)鋳造の鐘を掛(この鐘は第二次大戦の際供出現在のは昭和三十三年九月造る)別当宝蔵院日光山愛甲寺と号す本山修験小田原玉瀧坊配下本尊不動もとは社傍に庵ありて社守を置きしが今廃す」とあり、現在の社殿は昭和四十九年八月改築したものである。(神奈川県神社誌より)
「厚木市史史料」による愛甲熊野神社の由緒
熊野神社(愛甲)
新編相模国風土記稿と同文(「厚木市史史料」より)
愛甲熊野神社所蔵の文化財
- 石灯籠(康暦二年)一基附石灯籠(延宝八年)一基(厚木市指定有形文化財)
熊野神社の石灯籠
本石灯篭は南北朝時代の康暦二年(一三八〇)の紀年銘を有し、在銘資料としては、本市及び神奈川県ばかりではなく、関東地方においても最古級のものとみられます。笠、竿、基礎は建立当初のものですが、宝珠は室町期の五輪塔の空・風輪部を転用したもので、六角形の台石は中古と思われます。火袋、中台は近年に補われたものです。六角形の笠の軒や下り棟、円柱の笠の節、円形の基礎の反り花座の蓮弁等の細部に時代の特徴を見ることができます。石材は安山岩。現高一三二・六センチメートル。
附の江戸時代の延宝八年(一六八〇)銘の石灯籠は、社前に一基のみ建立する古来の形態から、一対建立形態への変遷を示すとともに、康暦銘石灯籠の当初の全体像を推定する上でも貴重な資料といえます。石材は凝灰岩。現高一二一・五センチ。
二基の建立ねんの干支はともに庚申です。(厚木市教育委員会掲示より)
愛甲熊野神社の周辺図
参考資料
- 新編相模国風土記稿
- 神奈川県神社誌
- 「厚木市史史料」