依知神社。厚木市上依知の神社

猫の足あとによる神奈川県寺社案内

依知神社。旧依智郷の鎮守赤城社

依知神社の概要

依知神社は、厚木市上依知にある神社です。依知神社の創建年代等は不詳ながら、赤城社と称し、旧社領は源頼朝よりの寄進と伝えられ、境内では時々競馬も行われ、祭典には金田まで神輿が渡御する依智郷の鎮守社として祀られていたと伝えられます。徳川家康関東入国後の天正19年(1591)には社領1石を受領、上依智村の鎮守として祀られていました。明治6年依知神社と改称、村社に列していました。

依知神社
依知神社の概要
社号 依知神社
祭神 磐筒之男命
相殿 -
境内社 狭水神社、稲荷社、秋葉社、道祖神碑、地神碑、稲荷社二、神明社、御嶽社
祭日 例大祭9月6日
住所 厚木市上依知1
備考 -



依知神社の由緒

依知神社の創建年代等は不詳ながら、赤城社と称し、旧社領は源頼朝よりの寄進と伝えられ、境内では時々競馬も行われ、祭典には金田まで神輿が渡御する依智郷の鎮守社として祀られていたと伝えられます。徳川家康関東入国後の天正19年(1591)には社領1石を受領、上依智村の鎮守として祀られていました。明治6年依知神社と改称、村社に列していました。

新編相模国風土記稿による依知神社の由緒

(妻田村)
柳明神社
村の鎮守、祭神詳ならず、本地佛大日、社領一石五斗の御朱印は天正十九年賜ふ、例祭九月二十九日、短刀(天國作、長一尺一寸許)一口を神寶とす、社前に鍾樓ありしが今廢す。
神楽殿
護摩堂。本尊不動。
別當教福院。田龍山東福寺と號す、當山修験江戸青山鳳閣寺配下、開山南蔵三浦氏と云、永禄十一年十月十七日卒。(新編相模国風土記稿より)

神奈川県神社誌による依知神社の由緒

勧請年月は不詳だが、徳川時代には赤城大明神と称し上依知溝野の鎮守であった。明治四年八月上地、同六年七月依知神社と改称し村社に列せられた。(神奈川県神社誌より)

「厚木市史史料」による依知神社の由緒

依知神社(上依知字溝野1)
勧請年月不詳、古昔は郷社で頗る大社である。境内には馬場があって時々競馬があった。旧字名に馬場というところがありこれより南へ五〇〇M余りくだったところは華表跡(鳥居の事)という。今も尚この辺をトリイドと呼ぶ。寛文年中大洪水のために堤塘が破られ境内の崩壊が甚だしく以後漸時崩欠し今僅かに残る旧社領は、古く源頼朝よりの寄進という。又、毎年祭典には大字金田迄神輿渡御が行なわれたと伝う。旧江戸幕府徳川氏より社領一石の朱印状を賜り、明治四年八月上地となり、次いで社地の払下げを得て同六年七月村社と定められた。祭日は九月十九日であったが以後、六日と改まる。赤城熊野両神相殿として祀る。(伝承)(「厚木市史史料」より)


依知神社の周辺図


参考資料

  • 新編相模国風土記稿
  • 神奈川県神社誌
  • 「厚木市史史料」