中依知浅間神社。神奈川県指定重要文化財の銅鐘
中依知浅間神社の概要
中依知浅間神社は、厚木市中依知にある神社です。中依知浅間神社は、宝治元年(1247)6月1日に降雪があったことから、霊峰富士山を畏れ、富士ノ宮と称して創建したと伝えられます。徳川家康が関東入国した後の天正19年(1591)には社領2石の御朱印状を受領、中依知・下依知の鎮守として崇敬され、大正9年には神饌幣帛料供進神社に指定されていました。当社の銅鐘は神奈川県重要文化財に指定されています。
社号 | 浅間神社 |
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祭神 | 木花咲耶姫命 |
相殿 | 伊弉諾命、伊弉冊命 |
境内社 | 蚕影社 |
祭日 | 例大祭9月9日 |
住所 | 厚木市中依知504 |
備考 | - |
中依知浅間神社の由緒
中依知浅間神社は、宝治元年(1247)6月1日に降雪があったことから、霊峰富士山を畏れ、富士ノ宮と称して創建したと伝えられます。徳川家康が関東入国した後の天正19年(1591)には社領2石の御朱印状を受領、中依知・下依知の鎮守として崇敬され、大正9年には神饌幣帛料供進神社に指定されていました。
新編相模国風土記稿による中依知浅間神社の由緒
(中依智村)
浅間社
神躰は秘封とす(本地彌陀を腹籠とすと云)熊野赤城の二神を配祀す、勧請の年代を傳へず、鐘銘に據ば文保年間既に鎮座有し事知らる(鐘銘下に出す)今社邊に布目瓦の碎しもの數多遺れり、是古社たるの證とすべし、例祭六月朔日、天正十九年中下依智兩村の内にて社領二石の御朱印を賜ふ、則兩村の鎮守とす、
末社。稲荷、金毘羅、秋葉
鐘楼。鐘は肇て貞和六年鑄造せしを長禄三年に至りて再鑄せしと見ゆ、故に貞和の舊銘及び長禄の追銘を刻す、(鐘銘省略)(新編相模国風土記稿より)
神奈川県神社誌による中依知浅間神社の由緒
旧史では富士山の宮と称え、安永元年(一七七二)社殿炎上、漸く御神体を奉助、梵鐘を除く外古文書宝物等焼失。安政二年(一八五五)社殿再建明元年浅間社と改称すとあり、大正九年五月二十一日神饌幣帛料供進の神社に指定された。(神奈川県神社誌より)
「厚木市史史料」による中依知浅間神社の由緒
浅間神社(中依知宮ノ越)
宝治元年(一二四七)六月一日大ニ雪降ル土人等挙テ木花咲耶姫尊ヲ祀リ五穀ノ害ヲ免レル霊験ヲ感ジ益々尊敬シテ社ヲ建立シテ大暑ノ降雪ハ富士山ヨリ他ニ見ザル故、社名ヲ富士ノ宮ト称セルナリト伝フ。天正十九年十一月徳川家康公ヨリ旧高畑弐石ヲ寄進アリ以来徳川家ヨリ世々朱印書ヲ下附セラル安政元年梵鐘及ピ神体ヲ除ク外古文書類宝物等焼失同二年仮社殿建立安永元年社殿再建明治元年浅間神社ト改称ス、同年ヨリ例祭ハ年々九月十九日ト定ム(明治年間書上藤野良次氏所蔵文書)(富士之宮由緒書)(「厚木市史史料」より)
中依知浅間神社所蔵の文化財
- 浅間神社銅鐘(神奈川県指定重要文化財)
浅間神社銅鐘
この銅鐘は、鐘に刻まれた銘文から、もと鎌倉大楽寺にあり、南北朝時代、貞和六年(一三五〇)に、飯山の鋳物師とみられる清原宗廣によって製作されたことがわかります。縦帶の進銘には、長禄三年(一四五九)に浅間神社の法器として納められたことが刻まれています。
作風は全体として胴がややふくらみをおび、鐘身に対し口径が大きいのでずんぐりしたものとなっています。龍頭はかなり立体的に表現されており、鋭さがみられます。
全体に中世の梵鐘の形態をよく示しており、美術的にも優れています。(厚木市教育委員会掲示より)
中依知浅間神社の周辺図
参考資料
- 新編相模国風土記稿
- 神奈川県神社誌
- 「厚木市史史料」