浮島弁天社。厚木市上依知の神社
浮島弁天社の概要
浮島弁天社は、厚木市上依知にある神社です。浮島弁天社の創建年代等は不詳ながら、かつては相模川に中洲があり、その中洲(浮島)に鎮座していたといいます。この浮島が相模川の氾濫を招いているとして、明治初年、旧荻野山中藩士松下裕信が浮島を取り除くことを発案、浮島を取り除いた後に、浮島にあった弁財天を、当地に祀り建立したといいます。
社号 | 浮島弁天社 |
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祭神 | - |
相殿 | - |
境内社 | - |
祭日 | - |
住所 | 厚木市上依知 |
備考 | - |
浮島弁天社の由緒
浮島弁天社の創建年代等は不詳ながら、かつては相模川に中洲があり、その中洲(浮島)に鎮座していたといいます。この浮島が相模川の氾濫を招いているとして、明治初年、旧荻野山中藩士松下裕信が浮島を取り除くことを発案、浮島を取り除いた後に、浮島にあった弁財天を、当地に祀り建立したといいます。
境内掲示による浮島弁天社の由緒
明治初年のこと、旧荻野山中藩士松下裕信の発案により、相模川の中洲にあって、水害をもたらした弁天社のある浮島を取り除く爆破が無事成功した。がその直後に不思議や弁天様の化身が現れた。早速上依知村々民は、この地に社を建立し弁財天を祀り村の平安を祈念したのである。(境内掲示より)
新編相模国風土記稿による浮島弁天社の由緒
(上依知村)
辨天社
洪水に相模川の流變遷して、社地は對岸にあれど、當村の屬なり、明達(高座郡当麻村にあり、)佛像(高座郡磯部村にあり、)兩院の持、(新編相模国風土記稿より)
神奈川県神社誌による浮島弁天社の由緒
法人ではないため記載なし(神奈川県神社誌より)
「厚木市史史料」による浮島弁天社の由緒
浮島神社(上依知中河原)
新編相模国風土記云、弁天社、川の流変遷して社地は対岸にあれど当村の属なり、明達(高座郡当麻村にあり)仏像(高座郡磯部村にあり)両院の持、と記載されている。相模川の中洲にあって、この弁天島に洪水の度に両村に被害を及ぼすため明治の中頃、これを爆破して島を取りのぞいた。当社は現在、上依知の字中河原にあって浮島弁天社という。(「厚木市史史料」より)
浮島弁天社の周辺図
参考資料
- 新編相模国風土記稿
- 神奈川県神社誌
- 「厚木市史史料」