下川入諏訪神社。厚木市下川入の神社

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下川入諏訪神社。厚木市下川入の神社

下川入諏訪神社の概要

下川入諏訪神社は、厚木市下川入にある神社です。下川入諏訪神社は、鈴木重康(貞応元年1225年没)が川入郷に定住した際、鬼門除けとして諏訪社を勧請したと伝えられます。江戸期には川入村の鎮守として祀られ、文政年代に江戸芝居を三昼夜行なうほど盛況だったといいます。当社本殿は、厚木市有形文化財に指定されています。

下川入諏訪神社
下川入諏訪神社の概要
社号 諏訪神社
祭神 建御名方命
相殿 -
境内社 例祭日8月27日
祭日 日枝神社、大六天社
住所 厚木市下川入298
備考 -



下川入諏訪神社の由緒

下川入諏訪神社は、鈴木重康(貞応元年1225年没)が川入郷に定住した際、鬼門除けとして諏訪社を勧請したと伝えられます。江戸期には川入村の鎮守として祀られ、文政年代に江戸芝居を三昼夜行なうほど盛況だったといいます。

新編相模国風土記稿による下川入諏訪神社の由緒

(川入村)
諏訪社
村の鎮守なり、例祭七月廿七日、往古社地に六本松(一幹六本に分る)と呼ぶ老樹ありしが中古枯槁す、村持、
鐘樓。安永二年再鑄の鐘を掛、(新編相模国風土記稿より)

神奈川県神社誌による下川入諏訪神社の由緒

詳らかではないが、新編相模風土記に「村の鎮守なり例祭七月二十七日往古社地に六本松(一幹六本に分る)と呼ぶ老樹ありしが枯損す、村持、鐘楼安永二年再鋳の鐘を」とある。寛政八年(一七九六)七月建造の社標に神祇官領免許と記してある。明治改革の五年諏訪神社と改称した。(神奈川県神社誌より)

「厚木市史史料」による下川入諏訪神社の由緒

諏訪神社(下川入二九八外一筆)
寛政八年七月佐野氏の建立した石標の正面に、神祇官免許社と彫られ、裏面に由緒を示す。
即ち
「抑当社往昔六株の松の下に穂屋を営み鎮座し給ひしを延暦終頃今の宮造りして川入野里田家の産神と仰ぎ氏子願ふに甲斐あり時に寛政八つのとし天命下りて本朝神賦帳にいらせ給ふは神徳を後世に知らしめんと石図を記奉尊崇もの也」
そして右横に
「すはの浪こゝにもかよふ川入の名にたつ里は神のまにまに」とある。
(中略)
鈴木貞吉氏の家に伝えられる口碑によると、
紀州藤氏郷士鈴木三郎重家の次男重康(貞応元、一二二五没))が川入郷に住み、諏訪神社を祀って、鬼門除けとしたものといわれる。
祭神は武御名方神で、例祭は八月二十七日。現在の社殿は明治四年十一月建造したものであるが、その前のは文化十四年の造営で、文政年代に江戸芝居を三昼夜行なうほどの盛況を極めていた。
風土記に一幹六本で六本松と称した松は枯れたとあってその後に後継として、六本植えたことが明治三年の山中役所の書上書に見られ、大正年代に一本しか残っていなかったが、昭和になって枯槁した。
社殿は昭和三十二年亜鉛鉄板葺として、拝殿を前方へ六尺引出して幣殿を加え、前巾三間奥行六間半となった。(「厚木市史史料」より)


下川入諏訪神社所蔵の文化財

  • 下川入諏訪神社本殿(厚木市指定有形文化財)

下川入諏訪神社本殿

諏訪神社は旧川入村の鎮守社です。本殿は、所蔵棟札によって文化十四年(一八一七)の建立、大工棟梁は八菅村・天野幸八、彫物師は八王子宿・前田新蔵であったことが明らかです。
素木造であること、彫物によって豊かに装飾することなど、江戸時代後期の特徴を顕著に示すと同時に、県南の社殿には見られない、禅宗様垂木付の組物を使うという地域的な特色も併せ持っています。(厚木市教育委員会掲示より)

下川入諏訪神社の周辺図


参考資料

  • 新編相模国風土記稿
  • 神奈川県神社誌
  • 「厚木市史史料」