荻野神社。市内最古の社殿、旧郷社
荻野神社の概要
荻野神社は、厚木市上荻野にある神社です。荻野神社の創建年代等は不詳ながら、自然石を神体とする石神大明神と称して祀られ、徳川家康の関東入国に際して天正19年(1591)社領3石の御朱印状を受領、荻野三村の鎮守として崇敬されていました。明治維新に際し慶応3年(1867)荻野神社と改称、明治6年郷社に列格していました。荻野神社本殿は、貞享4年(1687)の建立で、市内最古とされ、厚木市有形文化財に指定されています。
社号 | 荻野神社 |
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祭神 | 大己貴命 |
相殿 | 素戔嗚命 |
境内社 | 有賀神社・豊受神社・春日神社・日神社・八幡神社合殿、東照宮、役行者、菅原社、八坂神社 |
祭日 | 例大祭7月15日 |
住所 | 厚木市上荻野1 |
備考 | - |
荻野神社の由緒
荻野神社の創建年代等は不詳ながら、自然石を神体とする石神大明神と称して祀られ、徳川家康の関東入国に際して天正19年(1591)社領3石の御朱印状を受領、荻野三村の鎮守として崇敬されていました。明治維新に際し慶応3年(1867)荻野神社と改称、明治6年郷社に列格していました。
新編相模国風土記稿による荻野神社の由緒
(上荻野村)
石神社
自然石を神體とし、牛頭天王を合祀す、荻野三村の鎮守、例祭八月十五日なり、社領三石の御朱印は天正十九年附せらる、中荻野村灌頂院持、
末社。神明八幡春日合祀、山王有賀明神合祀
鐘樓。鐘に寛永四年の銘を彫す、
本地堂。十一面觀音を安ず、
銀杏樹。神木なり(圍一丈七尺餘)(新編相模国風土記稿より)
神奈川県神社誌による荻野神社の由緒
創立年月日不詳。貞享四年(一六八七)再興、石神大明神と称え、寛政八年(一七九六)文化十二年(一八一五)大修理を行い延享二年拝殿が再建され、慶応三年(一八六七)荻野神社と改称、神祇伯白川殿より正一位免許、徳川家康公より社領三石の寄附があった。明治四年二月上地し、往時は灌頂院別当奉務していたが、維新の革命によって灌頂院は復職し、祠掌となる。明治六年郷社に列格し、明治四十年幣帛供進神社に指定された。昭和五年七月幣殿拝殿の大修繕を行い現在に至っている。(神奈川県神社誌より)
「厚木市史史料」による荻野神社の由緒
荻野神社(上荻野字宮の腰一)
荻野神社は、旧荻野村の中央、上荻野一番地にある。祭神は大己貴命、配祀は素戔嗚命である。創立年月は不詳。貞享四年再興石神大明神と称した。慶応三年十月に荻野神社と改称した。神祇伯白河殿より、正一位免許の上社前に額を賜った。天正十九年十一月徳川家康より社領に三石の朱印を附せられ、明治六年二月上知し、其年七月三十日に郷社に、指定せられた。(「厚木市史史料」より)
荻野神社所蔵の文化財
- 荻野神社本殿(厚木市指定有形文化財)
- 荻野神社のイチョウ(市指定天然記念物)
荻野神社本殿
旧荻野三村の鎮守で、旧称は石神社。一間社流造としては市内で最大、県内でも有数の規模を誇ります。寄進札によって、貞享四年(一六八七)に建立したことがわかります。これは市内で最古の社殿になります。
本殿の内部は前後二室に分かれ、前室は板敷、後室は土間になっています。規模の大きな本殿のためか覆殿を持たず、本殿を外部に露出しています。
細部の作りは先進的で、装飾もたいへん豊かです。十七世紀の最新の作風を見事に表現した建築として高く評価されています。(厚木市教育委員会掲示より)
荻野神社の周辺図
参考資料
- 新編相模国風土記稿
- 神奈川県神社誌
- 「厚木市史史料」