飯出神社。厚木市酒井の神社

猫の足あとによる神奈川県寺社案内

飯出神社。厚木市酒井の神社

飯出神社の概要

飯出神社は、厚木市酒井にある神社です。飯出神社の創建年代等は不詳ながら、別当寺だった一重院の中興が俊光(応安元年1368年寂)とされることや、梵鐘が室町時代末期の作とされることから古くより酒井村の鎮守として祀られてきたのではないかと推定され、江戸期には、社殿の銘記や棟札に内藤左近将監や山角又兵衛など地元有力者の名が見られ、酒井村の鎮守として祀られていました。

飯出神社
飯出神社の概要
社号 飯出神社
祭神 三穂津比売命
相殿 -
境内社 宿稲荷社、新宿稲荷社、天神社、庚神社
祭日 4月14日
住所 厚木市酒井2142
備考 -



飯出神社の由緒

飯出神社の創建年代等は不詳ながら、別当寺だった一重院の中興が俊光(応安元年1368年寂)とされることや、梵鐘が室町時代末期の作とされることから古くより酒井村の鎮守として祀られてきたのではないかと推定され、江戸期には、社殿の銘記や棟札に内藤左近将監や山角又兵衛など地元有力者の名が見られ、酒井村の鎮守として祀られていました。

新編相模国風土記稿による飯出神社の由緒

(酒井村)
飯出明神社
村の鎮守とす、神體木像(長八寸五分、)例祭八月十四日、社内に寛永二年の棟札を蔵す(曰相模國愛甲郡、當社酒井郷飯出大明神、寶殿建攸、山角又兵衛、同次郎右衛門、同權七、同三十郎、同左近、寛永二乙丑年五月廿二日裏に別當一重院孝俊及村内名主の姓名を載す、)古松樹(圍一丈五寸)あり、神木なり、
鐘樓。鐘は銘文なし
末社。天神、庚申、稲荷
別當一重院。酒井山飯昌寺と號す、本山修験(聖護院末、)中興俊光(應安元年三月五日卒、)本尊不動、
辨天社
如来堂。善光寺如来を安ず、(新編相模国風土記稿より)

神奈川県神社誌による飯出神社の由緒

古酒井村小名に、殿原と書せしも(今は頓原なり)創立年月日不詳。社殿に「永禄年間に御神体を内藤左近将監采色なり」とあり。尚寛永年間の棟礼二枚あり。一は「宝殿建立攸」と相記、「地反山角又兵衛、外同姓四名」と記されている。一は「宝殿建立攸」と相記、「きしん山角文右衛門」と相記されている。(外に元禄年間一、宝禄年間一、宝暦年間一、享保年間一、合領主よりの棟札四枚あり)
右に拠って考察するに往古より、この神社は各官に診て建設の上勧請奉ったことであろう。而して後天下泰平の御祈願として奉安されて来た。と古老の口碑に相伝されている。今は酒井村鎮守として尊崇されている。(神奈川県神社誌より)

「厚木市史史料」による飯出神社の由緒

飯出神社(酒井宮の前)
創建年月等不詳(「厚木市史史料」より)


飯出神社所蔵の文化財

  • 飯出神社の銅鐘

飯出神社の銅鐘

この銅鐘は全く無銘であり、その制作年代、作者、寄進者、由緒等も不明ですが、形状が近世のものより長形で、室町時代末期頃の面影を残しています。
鐘の中央は無文ですが、上帯に三つの飛雲、下帯には四組の唐草の紋様をめぐらしています。
撞座は二ヵ所で、八葉の複弁蓮座になっています。
寸法
鐘身七七・一センチメートル
笠形五・三センチメートル
竜頭二二・七センチメートル
口径五八・二センチメートル
乳四段四列、六十四乳(厚木市教育委員会掲示より)

飯出神社の周辺図


参考資料

  • 新編相模国風土記稿
  • 神奈川県神社誌
  • 「厚木市史史料」