三田八幡神社。市指定有形文化財の本殿、三田村の鎮守
三田八幡神社の概要
三田八幡神社は、厚木市三田にある神社です。三田八幡神社の創建年代等は不詳ながら、源頼朝の臣領主安達九郎盛永が社殿を建久3年(1192)に再建したとされ、鶴岡八幡宮を勧請したと伝えられます。徳川家康の関東入国に際し社領1石5斗の御朱印状を受領、三田村の鎮守として祀られてきました。明治維新後には明治6年村社に列格、明治9年には神饌幣吊料供進神社に指定されていました。当社本殿は、元禄3年(1690)に建立されたもので、厚木市内で二番目の大きさを誇り、厚木市有形文化財に指定されています。
社号 | 八幡神社 |
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祭神 | 応神天皇 |
相殿 | 神功皇后 |
境内社 | 若宮八幡神社、春日大神 |
祭日 | 例大祭8月1日 |
住所 | 厚木市三田2723 |
備考 | - |
三田八幡神社の由緒
三田八幡神社の創建年代等は不詳ながら、源頼朝の臣領主安達九郎盛永が社殿を建久3年(1192)に再建したとされ、鶴岡八幡宮を勧請したと伝えられます。徳川家康の関東入国に際し社領1石5斗の御朱印状を受領、三田村の鎮守として祀られてきました。明治維新後には明治6年村社に列格、明治9年には神饌幣吊料供進神社に指定されていました。
新編相模国風土記稿による三田八幡神社の由緒
(三田村)
八幡社
村の鎮守なり、安達藤九郎盛長勧請すと云傳ふ、神體束帶の像なり、
神前に鏡を掛(裏面に文安二丙子年九月十五日二橋伊豆作、三田村とあり、按ずるに文安二年は乙丑なり、且其頃鑄造の物とは見えず、
例祭六月十七・九月十五日の兩度なり、天正十九年社領一石五斗の御朱印を附せらる、
末社。若宮八幡、春日、道祖神、稲荷
鐘樓。鐘は正徳四年の鑄造なり
神主大澤近江。吉田家の配下なり、(新編相模国風土記稿より)
神奈川県神社誌による三田八幡神社の由緒
本社創立年月不詳であるが、社殿は建久三年(一一九二)源頼朝の臣領主安達九郎盛永再建すとあり、その後明暦四年(一六五八)八月再建され、元禄三年(一六九〇)四月地頭川口長三郎も再建した。明治六年七月村社に列せられ、昭和九年七月二十七日神饌幣帛供進神社に指定された。(神奈川県神社誌より)
「厚木市史史料」による三田八幡神社の由緒
八幡神社(三田字堰端二七二二)
祭神は応神天皇で神功皇后を合祀し、摂社は若宮八幡で祭神は仁徳天皇である。創立年月は不詳であるが、建久三年安達藤九郎盛長再建といわれ、鶴岡八幡を勧請したと伝えられている。その後明歴四年八月再建、元禄三年四月地頭川口長三郎再建、天正十九年十一月徳川家康より社領壱石五斗の朱印を賜わっている。
文久四年三月十五日本殿は柿葺流造り壱坪五合五勺、拝殿寄棟造り二十一坪、前面入母屋造り千鳥破風にして、社殿がそっくり再興した。明治六年七月村社に列せられ、明治九年七月二十七日神饌幣吊料供進神社に指定せられた。大正十二年九月一日の大震災に、本殿、拝殿が大被害を受け修繕をする。昭和四年一月草葺屋根を亜鉛鉄板葺に造り替え、昭和四十一・年八月屋根裏千鳥破風の上棟基礎、床張替内外のはめ、などの大改築を施行祭典は八月一日(「厚木市史史料」より)
三田八幡神社所蔵の文化財
- 八幡神社本殿(厚木市指定有形文化財)
八幡神社本殿
旧三田村の鎮守です。桁行六尺の大規模社殿で、一間社流造としては、県内では有数の規模を誇り、市内で二番目の大きさになります。朱塗りを基調とし、彫刻や支輪、組物は極彩色となっています。
本殿の飾金具には「かさりや新戸村久兵衛利重」の陰刻銘があり、石川久兵衛の作と考えられています。
本殿の建立時期は、建築の様式及び装金具、造営棟札から元禄三年(一六九〇)となっています。これは、市内で二番目の古さになります。
本殿は、十七世紀の標準的な社殿より装飾が華やかで、当地の経済・社会状況を知る貴重なものといえます。(厚木市教育委員会掲示より)
三田八幡神社の周辺図
参考資料
- 新編相模国風土記稿
- 神奈川県神社誌
- 「厚木市史史料」