上依知富士塚・浅間神社。厚木市上依知の神社
上依知富士塚・浅間神社の概要
上依知富士塚・浅間神社は、厚木市上依知にある神社です。上依知富士塚・浅間神社は、宝永4年(1707)の富士山大噴火による降砂を一ヵ所にまとめて富士塚を造り、浅間社を祀ったと伝えられます。熊谷陸軍飛行学校相模分教場(中津飛行場)建設に際して昭和15年富士塚は取り壊されたものの、昭和40年代に入り改めて造立したといいます。
社号 | 浅間神社 |
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祭神 | - |
相殿 | - |
境内社 | - |
祭日 | - |
住所 | 厚木市上依知、依知北公民館向かい |
備考 | - |
上依知富士塚・浅間神社の由緒
上依知富士塚・浅間神社は、宝永4年(1707)の富士山大噴火による降砂を一ヵ所にまとめて富士塚を造り、浅間社を祀ったと伝えられます。熊谷陸軍飛行学校相模分教場(中津飛行場)建設に際して昭和15年富士塚は取り壊されたものの、昭和40年代に入り改めて造立したといいます。
新編相模国風土記稿による上依知富士塚・浅間神社の由緒
(上依知村)
該当記載なし(新編相模国風土記稿より)
神奈川県神社誌による上依知富士塚・浅間神社の由緒
法人ではないため記載なし(神奈川県神社誌より)
境内掲示による上依知富士塚・浅間神社の由緒
富士塚・浅間神社
宝永四年(一七〇七)富士山の大噴火により当地は大量の降砂があり人々は富士山の怒りを鎮めようと降砂を一ヶ所に集めて富士塚をつくり浅間社を祀ったと伝わる。
塚は高さ六米もあり樹木も茂り小山のようであったが、昭和十五年この地の北方に熊谷陸軍飛行学校相模分教場(中津飛行場)建設時に、飛行訓練に支障があるとして塚の大部分は切り崩され畑にかわった。
周辺地の開発が進んだ昭和四十年代この神社が建てられた。
神殿内には、天保年期や江戸の商人名のある桐の破片、昭和十五年建立の浅間社・稲荷社の石祠が納められている。(境内掲示(境内掲示より)
上依知富士塚・浅間神社の周辺図
参考資料
- 新編相模国風土記稿
- 神奈川県神社誌
- 「厚木市史史料」