金田山建徳寺。本間六郎左衛門尉重連開基
建徳寺の概要
臨済宗建長寺派寺院の建徳寺は、金田山と号します。建徳寺は、本間六郎左衛門尉重連(法名建徳寺石山金公)が祖先菩提供養の為に開基となり、大興禅師(正安3年1301年寂)を開山に迎えて建立、本間家累代の菩提寺となっていました。江戸期には幕府より寺領10石の御朱印状を慶安2年(1649)に受領しています。
山号 | 金田山 |
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院号 | - |
寺号 | 建徳寺 |
本尊 | 釈迦牟尼仏像 |
住所 | 厚木市金田262 |
宗派 | 臨済宗建長寺派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
建徳寺の縁起
建徳寺は、本間六郎左衛門尉重連(法名建徳寺石山金公)が祖先菩提供養の為に開基となり、大興禅師(正安3年1301年寂)を開山に迎えて建立、本間家累代の菩提寺となっていました。江戸期には幕府より寺領10石の御朱印状を慶安2年(1649)に受領しています。
厚木市史史料による建徳寺の縁起
金田山建徳寺(金田小字寺畑)
鎌倉時代中期依知郷の地頭、本間六郎左衛門尉重連が父忠家の菩提供養の為、当寺を建立したと伝えられているが、忠家は父でなく先祖である。同寺墓域にある本間家累代の墓と伝えるものは南北朝期より室町時代末期までのもので二十八基ある。慶安二年、寺領十石の御朱印を下されている。(「厚木市史史料」より)
新編相模国風土記稿による建徳寺の縁起
(金田村)建徳寺(慶安二年寺領十石の御朱印)
金田山と號す、臨済宗(鎌倉建長寺末)開山大興禅師(大覺禅師の弟子、葦航道然と云、正安三年十二月六日卒、)開基本間六郎左衛門重連(法號建徳寺石山金公、文永九年三月四日死、法名沒年異同ある事、前寺の條にいへり、)なり、墓所に五輪の石塔二十八基あり、皆本間氏の墓と云傳ふ、(重連以来數世菩提寺なりしと云、)慶安二年寺領十石の御朱印を賜ふ、本尊釋迦を安ず、(新編相模国風土記稿より)
建徳寺の周辺図
参考資料
- 新編相模国風土記稿
- 「厚木市史史料」