三王三柱神社。有鹿神社の摂社
三王三柱神社の概要
三王三柱神社は、海老名市上郷にある神社です。三王三柱神社の創建年代等は不詳ながら、山王社として祀られ、当地の総鎮守有鹿神社を守護していたといいます。江戸時代末期には、当地で武州三峯講・伊勢講が組織されたものの、講中全員の参拝が叶わなかったことから三峯社・皇大神宮を勧請して創建、明治末年三社を合祀し三王三柱神社と改めたといいます。
社号 | 三王三柱神社 |
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祭神 | - |
相殿 | - |
境内社 | - |
祭日 | - |
住所 | 海老名市上郷1-3 |
備考 | 有鹿神社の摂社 |
三王三柱神社の由緒
三王三柱神社の創建年代等は不詳ながら、山王社として祀られ、当地の総鎮守有鹿神社を守護していたといいます。江戸時代末期には、当地で武州三峯講・伊勢講が組織されたものの、講中全員の参拝が叶わなかったことから三峯社・皇大神宮を勧請して創建、明治末年三社を合祀し三王三柱神社と改めたといいます。
新編相模国風土記稿による三王三柱神社の由緒
(上郷村)
山王社
龍昌院持(新編相模国風土記稿より)
境内石碑による三王三柱神社の由緒
王三柱神社之御由緒
当神社は三王三柱神社と称す。山王明神社を基に三峯神社、皇太神宮の三社からなる総鎮守有鹿神社の下 上郷の鎮守である。当神社は有鹿神社に西向、有鹿明神を守護す。此地に存する有鹿井は、有鹿池と共に、有鹿明神に御縁深き社地である。
かくて、山王明神社の御創建は頗る夙く山王信仰に鑑み、鎌倉を下ることはない。現に、江戸期、此地に鎮座することの確証が遺る。
新風土記稿及び延宝八年建立の、山王権現の文字塔に示される。江戸末、火難盗難除の為 武州三峯講、又伊勢詣の為、伊勢講の組織を見た。講中全員の参拝を望めず、本社遙拝の為、三峯神社及び皇大神宮の御創建となった。
明治末年、此地に鎮座する三社を合祀し、三王三柱神社と社名を改めた。爾来八十有余年を経、当初の御社殿既になく、昭和初年造営の御社殿も老朽化す。
平成三年、かかる事態を憂慮し、上郷の氏子は、真心より浄財を以て、御社殿造営並びに鳥居、玉垣、神社碑、敷石等、境内整備をなし、これを記念して石碑に刻む
平成三年三月上郷氏子中
有鹿神社宮司 謹書(境内石碑より)
三王三柱神社の周辺図