中野八幡宮。海老名市中野の神社

猫の足あとによる神奈川県寺社案内

中野八幡宮。慶長8年再建、市重要文化財の本殿

中野八幡宮の概要

中野八幡宮は、海老名市中野にある神社です。中野八幡宮の創建年代等は不詳ながら、慶長年間(1596-1615)に大破してしまい、慶長8年(1603)に再建、中野村の鎮守社だったといいます。中野八幡宮の本殿も慶長8年(1603)に再造したもので、海老名市重要文化財に指定されています。

中野八幡宮
中野八幡宮の概要
社号 八幡宮
祭神 誉田別命
相殿 -
境内社 白山社
祭日 4月14日
住所 海老名市中野1-1-1
備考 -



中野八幡宮の由緒

中野八幡宮の創建年代等は不詳ながら、慶長年間(1596-1615)に大破してしまい、慶長8年(1603)に再建、中野村の鎮守社だったといいます。

新編相模国風土記稿による中野八幡宮の由緒

(中野村)
八幡社
祭祀八月十五日、村内の鎮守とす、
鐘樓。鐘は寶永二年鑄造天野源内が寄附なり、
神木。銀杏樹周廻一丈九尺、
末社。白山。(新編相模国風土記稿より)

神奈川県神社誌による中野八幡宮の由緒

創立年代は不詳であるが、慶長のはじめ大破に及び、別当である中野山盛福寺の開山・能山師は大願を発しこれを造り奉らんとし、時の領主、その志を喜び千金を出して之を助けた。また村の人々も協力を惜しむ事なく尽力し、慶長六年(一六〇一)より再建にとりかかり同八年(一六〇三)九月吉日に造立したと棟札にみえる。棟札には大工、鎌倉の住人・巌藤喜三郎 御神体雲湲彫刻とある。
大正十二年九月一日関東大震災のため半壊し、大正十四年九月二十五日に復旧した。(神奈川県神社誌より)


中野八幡宮所蔵の文化財

  • 中野八幡宮本殿(海老名市指定重要文化財)

中野八幡宮本殿

中野八幡宮は、旧中野村の鎮守っで、本殿内にある慶長八年(一六〇三)の古棟札二枚と、神体の木造将軍地蔵騎馬像の作から、室町時代後期に遡ることができ、同年に本殿と覆屋を新造したことが分かる。このため、勧請の年代は不詳であるが、古社であることは間違いないと思われる。
本殿は、中規模の一間社流造りの内宮で、覆殿内部に安置されている。建設年代は、十八世紀前期ごろと推定される。大きさは、間口五尺、奥行きは母屋が四・一尺、向拝出が三・旧尺で、母屋の柱には直径五・八寸の丸柱が用いられている。
母屋の正面、黒漆塗りの桟唐戸は、草花の幾何学文を彫り、彩色を施した珍しい建具である。正面両脇の小壁には、竹と梅に鶯の彫刻をあhめ、中備にあげた本蟇股の脚間にも彫刻をはめる。
当本殿は、洗練された意匠の彫刻装飾を多用していることが大きな特色である。また、木部をすべて彩色しているうえに、銅製の飾り金具が多く用いられている。かつ、保存状態もよい。
以上のように、本物件は、本市における彫刻装飾を多用した初期の貴重な遺構で、保護の価値があると認められるため、市指定重要文化財に指定したものである。(海老名市教育委員会掲示より)

中野八幡宮の周辺図