豊受大神。恩馬郷四ヶ村の鎮守
豊受大神の概要
豊受大神は、海老名市杉久保北にある神社です。豊受大神は、豊受皇大神が騎乗姿で降臨し神亀2年(725)に勧請したと伝えられ、恩馬郷四ヶ村(本郷・杉窪・上河内・中河内)の鎮守として祀られてきたといいます。
社号 | 豊受大神 |
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祭神 | 豊宇気毘売大神 |
相殿 | - |
境内社 | 内宮社、天満宮、寄宮五社(山王宮・琴平宮・三峰宮・厳島大神・秋葉大神) |
祭日 | 例大祭10月吉日(生姜市) |
住所 | 海老名市杉久保北2-22-1 |
備考 | - |
豊受大神の由緒
豊受大神は、豊受皇大神が騎乗姿で降臨し神亀2年(725)に勧請したと伝えられ、恩馬郷四ヶ村(本郷・杉窪・上河内・中河内)の鎮守として祀られてきたといいます。
新編相模国風土記稿による豊受大神の由緒
(杉窪村)
豊受皇太神宮
神躰木像、恩馬郷四村の鎮守なり、祭禮九月九日、
神木松。圍二丈四尺、
別當泉蔵院。恩馬山上宮寺と號す、本山修驗(小田原玉瀧坊配下)本尊不動、開山養祐(寛永十一年十一月十四日卒、)(新編相模国風土記稿より)
神奈川県神社誌による豊受大神の由緒
神亀二年(七二五)勧請と伝えられる。『相模風土記』に「本郷村、恩馬郷と唱う。正保国図に恩間本郷と記し、元禄の改に本郷村と載せ、古は恩間村と傍記す。杉窪・上・河内の三村は皆当村より分村せし地なり。俚談に往昔此地二、伊勢外宮騎馬の姿にて現し給う。よりて御馬の唱起れり。其後今の文字に改しと云ふ」と見える。(神奈川県神社誌より)
境内掲示による豊受大神の由緒
外宮・豊受大神
聖武天皇の神亀二年(七ニ五年)勧請、遠馬名神豊受大神と称す。
古来推古天皇の六年豊受皇大神神騎馬の御姿にてご降臨されてより、皇大神御尊行の処として此地をその鎮の宮と定められた。
江戸時代幕末の社寺改めによって恩馬郷四ヶ村の鎮守豊受皇大神と尊称、明治元年新政府の社寺分離令によって社号を豊受大神と改称した。
始め御陵を御神体と定め拝殿のみであった。のちにこれを改めて内殿の創建が行われたが幾多の兵乱に類焼し再建を重ねてきた。
現在の御拝殿は昭和六十年十一月に御造営された。続いて御神輿殿、御神輿が奉献された。(境内掲示より)
豊受大神の周辺図