歸命山浄光寺。日野三郎信忠が鎌倉扇谷に創建
浄光寺の概要
浄土真宗本願寺派寺院の浄光寺は、歸命山遍照院と号します。浄光寺は、足利義晴に仕えていた日野三郎信忠が義晴没後仏門に入り浄觀と改め、天文元年(1532)鎌倉扇谷に創建、その後寛永年間(1624-1645)に今里村へ移転、さらに万治年間(1658-1661)当地へ移転したといいます。
山号 | 歸命山 |
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院号 | 遍照院 |
寺号 | 浄光寺 |
本尊 | 阿弥陀如来像 |
住所 | 海老名市社家3873 |
宗派 | 浄土真宗本願寺派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
浄光寺の縁起
浄光寺は、足利義晴に仕えていた日野三郎信忠が義晴没後仏門に入り浄觀と改め、天文元年(1532)鎌倉扇谷に創建、その後寛永年間(1624-1645)に今里村へ移転、さらに万治年間(1658-1661)当地へ移転したといいます。
新編相模国風土記稿による浄光寺の縁起
(社家村)浄光寺
歸命山遍照院と號す、浄土真宗京西本願寺末、本尊彌陀を安ず、當寺は天文元年僧浄觀
(初将軍義晴に仕て日野三郎信忠と稱す、義晴薨後佛門に入り、浄觀と號す、文禄四年三月八日寂す、)鎌倉扇谷に創建す、其後寛永中郡内今里村に遷り、萬治中再此地に轉ずと云ふ。(新編相模国風土記稿より)
浄光寺の周辺図