中堂神明神社。平塚市中堂の神社

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中堂神明神社。馬入の鎮守

中堂神明神社の概要

中堂神明神社は、平塚市中堂にある神社です。中堂神明神社は、馬入村の鎮守として、神戸山蓮光寺秀岳法印が寛永13年(1636)勧請創建したと伝えられます。明治維新後の社格制定に際して明治6年村社に列格、関東大震災・太平洋戦争に罹災しその都度遷座・再建、当地へは昭和39年遷座したといいます。

中堂神明神社
中堂神明神社の概要
社号 神明神社
祭神 伊弉諾命
相殿 -
境内社 第六天社
祭日 例大祭4月10日
住所 平塚市中堂13-3
備考 -



中堂神明神社の由緒

中堂神明神社は、馬入村の鎮守として、神戸山蓮光寺秀岳法印が寛永13年(1636)勧請創建したと伝えられます。明治維新後の社格制定に際して明治6年村社に列格、関東大震災・太平洋戦争に罹災しその都度遷座・再建、当地へは昭和39年遷座したといいます。

境内掲示による中堂神明神社の由緒

寛永十三年(一六三六)創祀されたものと伝承されている。
この地域は古来八幡宮を鎮守としていたもので徳川氏の江戸開幕後慶長六年東海道宿駅の制度が定められて後、馬入村の鎮守として奉祀されたものと言われている。当時八幡宮の供僧を兼帯していた別当寺の神戸山蓮光寺秀岳法印に依って勧請されたものと伝承されている。神明宮と奉称されたが通称には太神宮と敬称されていたものである。例大祭は四月十日に斎行されていた。明治六年七月村社に列せられ神明社と奉称す。大正十二年九月一日関東大震災により全焼し仮宮殿に奉祀されていたが昭和二年境内を拡張し新築工事され御遷座奉祀された。昭和二十年七月十六日太平洋戦争で平塚大空襲の戦火に依って昭和二年御造営の御社殿は焼失し仮宮殿に祭祀されていた。昭和三十九年四月平塚市都市計画事業の進行により移転換地する事になり、公益会所有地であった現在地に昭和四十一年四月仮宮殿を移築奉祀されたものである。昭和四十四年四月新社殿落成し上申神明神社と昇格奉称する。(馬入氏子会掲示より)

新編相模国風土記稿による中堂神明神社の由緒

(馬入村)
神明宮
蓮光寺持、下同、
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第六天社(新編相模国風土記稿より)

神奈川県神社誌による中堂神明神社の由緒

寛永三年四月(一六二六)創立と伝えられる。昔は神明宮と称した。明治六年七月村社に列せられ神明社と称し、大正十二年九月関東大震災に全壊し直ちに復興し奉ったが、昭和二十年七月十六日太平洋戦争に焼失し翌年五月仮社殿を建築竣工、境内は正和四十年六月現在地に移転し、昭和四十四年二月神明神社と改めた。昭和四十四年五月現在地に鉄筋コンクリートの御造営完工、拝殿内の狛犬一対は前敬愛地馬入蔵邸入口の樹齢三〇〇年に及ぶ公孫樹の古損木を用材として彫刻されたもので、氏子の崇敬はきわめて厚い。
末社第六天社も新編相模風土記に載っている歴史の古い御社である。(神奈川県神社誌より)


中堂神明神社の周辺図


参考資料

  • 新編相模国風土記稿
  • 神奈川県神社誌