真田神社。陶山文三の子孫が勧請
真田神社の概要
真田神社は、平塚市真田にある神社です。真田神社の創建年代等は不詳ながら、真田与一義忠の郎党・陶山文三の子孫が京都八坂神社(牛頭天王)を勧請したといいます。真田村の鎮守として祀られ、徳川家康が関東入国した翌年の天正19年(1591)には社領1石5斗の御朱印状を受領、明治維新後の社格制定に際し明治3年村社に列格、明治9年真田神社と改称しています。
社号 | 真田神社 |
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祭神 | 建速須佐之男尊 |
相殿 | 稲荷神 |
境内社 | - |
祭日 | 例大祭7月9日 |
住所 | 平塚市真田1-4-36 |
備考 | - |
真田神社の由緒
真田神社の創建年代等は不詳ながら、真田与一義忠の郎党・陶山文三の子孫が京都八坂神社(牛頭天王)を勧請したといいます。真田村の鎮守として祀られ、徳川家康が関東入国した翌年の天正19年(1591)には社領1石5斗の御朱印状を受領、明治維新後の社格制定に際し明治3年村社に列格、明治9年真田神社と改称しています。
新編相模国風土記稿による真田神社の由緒
(眞田村)
牛頭天王社二
一は鎮守なり、例祭六月七日、社領一石五斗の御朱印は、天正十九年十一月賜へり、拝殿・神楽殿建り、天徳寺持、一は村民持、
△末社。山王、大日、熊野、稲荷、地神(新編相模国風土記稿より)
神奈川県神社誌による真田神社の由緒
古来天王宮と称し、創立年月日不詳であるが、桓武天皇の後胤平野国香の孫真田与一義忠所在の神社として崇敬厚く、社殿の修復を加えた。天正十九年(一五九一)徳川家康公より一石五斗の神領を寄附せられ、明治三年八坂神社と改称し、同年村社と定め、同九年八月真田神社と改称、大正二年幣帛供進の神社となる。(神奈川県神社誌より)
真田神社の周辺図
参考資料
- 新編相模国風土記稿
- 神奈川県神社誌