前鳥神社。平塚市四之宮の神社

猫の足あとによる神奈川県寺社案内

前鳥神社。延喜式内社、相模国四ノ宮

前鳥神社の概要

前鳥神社は、平塚市四之宮にある神社です。前鳥神社の創建年代等は不詳ながら、第十五代応神天皇の皇子菟道椎郎子が当地に入植、菟道椎郎子の没後に菟道椎郎子を祀り創建したと伝えられます。奈良時代に相模国府が当地に置かれると国府の鎮護として祀られ、延長5年(927)に作成された延喜式神名帳にも記載されている式内社です。大磯町国府本郷へ国衙が遷された後は国司巡拝社の第四番に列し、相模国四ノ宮と称されてきました。徳川家康が関東入国した翌年の天正19年(1591)には社領10石の御朱印状を受領、明治維新後の社格制定に際して郷社に列格していました。

前鳥神社
前鳥神社の概要
社号 前鳥神社
祭神 菟道椎郎子命、大山咋命、日本武尊
相殿 -
境内社 奨学神社、神戸神社、祖霊社
祭日 例大祭9月28日
住所 平塚市四之宮4-14-26
備考 さきとり幼稚園



前鳥神社の由緒

前鳥神社の創建年代等は不詳ながら、第十五代応神天皇の皇子菟道椎郎子が当地に入植、菟道椎郎子の没後に菟道椎郎子を祀り創建したと伝えられます。奈良時代に相模国府が当地に置かれると国府の鎮護として祀られ、延長5年(927)に作成された延喜式神名帳にも記載されている式内社です。大磯町国府本郷へ国衙が遷された後は国司巡拝社の第四番に列し、相模国四ノ宮と称されてきました。徳川家康が関東入国した翌年の天正19年(1591)には社領10石の御朱印状を受領、明治維新後の社格制定に際して郷社に列格していました。

境内掲示による前鳥神社の由緒

前鳥神社の創祀は奈良時代以前、第十五代応神天皇の皇子菟道椎郎子がこの地へ移り住み、後にこれを祭神として祀ったことに始まると伝えられ、千六百五十年の歴史を有します。
奈良時代から十世紀半ばにかけて、この地には相模国府(現代の県庁)が置かれ、当神社は国府の鎮護として国司(県知事に相当)を始め官人により神拝がなされたと考えられます。十世紀初頭に醍醐天皇によって勅撰された『延喜式』神名帳では奉幣社の一社に挙げられ、十世紀末に大磯町国府本郷へ国衙が遷された後は国司巡拝社の第四番に列し、爾来相模国四ノ宮と称されております。
鎌倉時代には源頼朝公より夫人政子の安産祈願の神馬奉納に与り、将軍家御祈祷所と定められたことが『吾妻鏡』に記されます。続く室町・安土桃山時代の動乱を経て衰微しましたが、徳川氏の崇敬篤く、家康公より社領地十石の寄進と朱印状を得て再興いたしました。江戸幕府成立後は、将軍家武運長久の祈願所と定められ、「四之宮大明神」として身分の上下を問わず広く信仰されてまいりました。
現在は渡来人から最新の学問を学び、その技術を篤く庇護した御祭神の生涯に因み、学徳・就職・安全守護の前鳥大神として広く尊崇を集めています。(境内掲示より)

新編相模国風土記稿による前鳥神社の由緒

(四ノ宮村)
四ノ宮明神社
社地東西四十間餘、南北百五十間、村の鎮守とす、延喜式【神名帳】に載する所、前鳥神社是なり、祭神菟道椎郎子尊、神體束帶木像(長一尺五寸)、建久三年八月、賴朝當社に神馬を奉らる(【東鑑】曰、八月九日御臺所御産氣、相模國神社佛寺、奉神馬被修誦經云々、四宮、)、天正十九年十一月、社領十石の御朱印を附せらる、例祭五月五日、淘綾郡國府本郷村、神揃山へ渡輿あり(國府本郷村、六所明神の條に詳載す、但當社神輿供奉の者に、四月晦日、米二升を椀に盛、芋の葉汁、千葉菔蕃椒をあへものとして饗す、是を夢振舞と稱せり、)幣殿・拝殿・神輿殿・供所等あり、社前に相模國十三座之内、前鳥神社と彫たる、石標を建つ、
【社寶】面一枚(日本武尊の面と云、圖下の如し)、古瓦一枚(傳来詳ならず)
鐘樓。鐘は寛政二年の再鑄なり、
末社。牛頭天王天神、稲荷二、聖天
別當鏡智院。雪霜山神光寺と號す、古義眞言宗(平塚新宿等覺院末、)本尊大日(長三尺五寸、行基作、明神の本地佛なり、)、脇立毘沙門不動(共に長三尺八寸、同作、)を置、
供僧定光院。所願山四ノ宮寺と號す(本寺前に同)、本尊不動。神明社、十二天を相殿とす、(新編相模国風土記稿より)

神奈川県神社誌による前鳥神社の由緒

創祀仁徳天皇の御時(昭和四十三年鎮座一六〇〇年祭)、当社は相模国四之宮として、累世国司の礼拝神社であったため延喜式神名帳に登載されている。それ故に前鳥大明神と云われる。
菟道椎郎子命は第十五代応神天皇の皇太子で、幼い頃より聡明で天皇の寵愛をうけられた。百済国から招いた阿直岐に帝王の道を学ばれ、次いで王仁博士を招かれ学問の道をひらかれたことは歴史の伝えるところであり、論語、千字文等の漢籍がはじめて渡来した。よって昔から学問、修学の御祖神として、広く尊崇されている。たまたま昭和四十三年秋創祀一六〇〇年祭を斎行し、数々の記念事業をなしたが、中でも祭神の師であった王仁博士、阿直岐の両先生を祀る奨学神社が建立された。日本の代表的歴史家、漢学者、文芸評論家、書家が中心となって崇敬会が設置され、論語、千字文の収集が広く進められている。
神饌幣帛料供進神社に指定される。旧社格郷社。神社庁指定神社。(神奈川県神社誌より)


前鳥神社の周辺図


参考資料

  • 新編相模国風土記稿
  • 神奈川県神社誌