横内御霊神社。平塚市横内の神社
横内御霊神社の概要
横内御霊神社は、平塚市横内にある神社です。横内御霊神社の創建年代等は不詳ながら、往古は近郷の総鎮守だったといいます。承久元年(1219)には将軍頼経鎌倉の下向に際して幣帛を供されたといいます。明治維新後の社格制定に際して明治6年村社に列格、大正6年には神饌幣帛料供進神社に指定されていました。
社号 | 御霊神社 |
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祭神 | 大己貴命 |
相殿 | - |
境内社 | 八坂神社、金刀比羅神社、天神社 |
祭日 | - |
住所 | 平塚市横内900 |
備考 | - |
横内御霊神社の由緒
横内御霊神社の創建年代等は不詳ながら、往古は近郷の総鎮守だったといいます。承久元年(1219)には将軍頼経鎌倉の下向に際して幣帛を供されたといいます。明治維新後の社格制定に際して明治6年村社に列格、大正6年には神饌幣帛料供進神社に指定されていました。
新編相模国風土記稿による横内御霊神社の由緒
(田村)
御靈社
小名横内の鎮守なり、祭神國常立尊、幣殿・拝殿・神楽殿等あり、例祭八月廿日、智正院持、
鐘樓。安永六年の鑄鐘を掛、
末社。牛頭天王、疱瘡神、山王(辨天を相殿に置)、辨天、金毘羅、天神、稲荷(新編相模国風土記稿より)
神奈川県神社誌による横内御霊神社の由緒
延暦以前の旧社で、往古は戸田、吉際、大神、横内、田村の総鎮守であったが、中世以後横内のみ鎮守となる。承久元年六月(一二一九)将軍頼経鎌倉下向の際、当地に滞留し幣帛を供えた。承応の頃、領主三浦義村当地に山荘を経営し、時々鎌倉より来往して神仏を崇信し社寺を造営した。当社もこれに預かる。徳川将軍の時に至り榊原、本田、渡辺、高井、竹尾、渥美、細井、石川、鵜殿、大久保、間部等の諸旗本相次でこの地を米食し各々旧例により造営、寄進、参詣す。
明治六年八月十五日村社に列せられ大正六年三月二十四日神饌幣帛料供進神社に指定さる。(神奈川県神社誌より)
横内御霊神社の周辺図
参考資料
- 新編相模国風土記稿
- 神奈川県神社誌