平塚三島神社。須賀村の鎮守、須賀の浜降祭
平塚三島神社の概要
平塚三島神社は、平塚市夕陽ケ丘にある神社です。平塚三島神社の創建年代等は不詳ながら、平安時代に伊予国一宮の大三島神社を勧請し創建したとも、或いは寛文年間(1661-1673)に三島大社の大山祇神を奉斎したとも伝えられます。江戸期には須賀村の鎮守として崇敬され、当社の祭礼は「須賀の浜降祭」とも称され、往時には1週間以上も例祭が続いたそうです。湘南ひらつか七福神の恵比寿神です。
社号 | 三島神社 |
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祭神 | 大山祇命、言代主命、大山咋命 |
相殿 | - |
境内社 | 伊邪那岐社、弁天社、疫神社 |
祭日 | 須賀の浜降祭7月第三土日 |
住所 | 平塚市夕陽ケ丘60-27 |
備考 | - |
平塚三島神社の由緒
平塚三島神社の創建年代等は不詳ながら、平安時代に伊予国一宮の大三島神社を勧請し創建したとも、或いは寛文年間(1661-1673)に三島大社の大山祇神を奉斎したとも伝えられます。江戸期には須賀村の鎮守として崇敬され、当社の祭礼は「須賀の浜降祭」とも称され、往時には1週間以上も例祭が続いたそうです。
新編相模国風土記稿による平塚三島神社の由緒
(須賀村)
三島社
村の鎮守なり、祭神大山祇命、本地佛薬師(長楽寺に安ず)、相殿に、貴船山王二座を祀る、例祭隔年九月廿九日、神輿村中を渡る、拝殿あり、長楽寺持、
末社。金比羅・淺間・熊野合祀、稲荷、辨天
不動堂
石二王(新編相模国風土記稿より)
神奈川県神社誌による平塚三島神社の由緒
平安時代伊予大三島の大山祇神社を勧請し創建したと言われている。又一つには江戸の寛文時代大山祇神を奉斎して三島明神と称し当地の鎮守として崇敬ありと言う。そして明治の初め伊豆三島大社より言代主大神を勧請し第一殿に合祀した。当神社の例大祭は一般に須賀のまつりと称せられ、その威勢の良さと盛大さはよく知られ湘南随一とも言われた。須賀の入梅まつりと言って一週間以上盛大に例祭が続いた事は今でも氏子の自慢話しになっている。(神奈川県神社誌より)
平塚三島神社の周辺図
参考資料
- 新編相模国風土記稿
- 神奈川県神社誌