平塚の塚|地名発祥の塚・高見王の娘政子の埋葬墓
平塚の塚の概要
平塚の塚は、平塚市にある名所旧跡です。平塚の塚は、高見王(桓武天皇の三代孫)の娘政子が天安元年(857)当地で逝去、当地で埋葬されて築かれた塚で、後に塚上の平な姿から地名「平塚」が起こった、地名発祥の塚だとされています。
名称 | 平塚の塚 |
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区分 | 名所 |
入場時間 | - |
入場料 | - |
住所 | 平塚市平塚4-10-10平塚の塚緑地 |
備考 | - |
平塚の塚の由緒
平塚の塚は、高見王(桓武天皇の三代孫)の娘政子が天安元年(857)当地で逝去、当地で埋葬されて築かれた塚で、後に塚上の平な姿から地名「平塚」が起こった、地名発祥の塚だとされています。
平塚市掲示による平塚の塚について
平塚の塚由来
江戸時代の天保十一年に幕府によって編さんされた『新編相模国風土記稿』の中に里人の言い伝えとして、「昔、桓武天皇の三代孫、高見王の娘政子が、東国へ向かう旅をした折、天安元年(八五七)二月この地で逝去した。柩はここに埋葬され、墓として塚が築かれた。その塚の上が平らになったので里人はそれを『ひらつか』と呼んできた。」という一節があり、これが平塚という地名の起こりとなりました。このことから平塚の歴史の古さが伝わります。(平塚市掲示より)
新編相模国風土記稿による平塚の塚について
(平塚宿)
東海道宿驛の一にして、江戸日本橋より十五里半、土人云、往昔高見王(桓武天皇三代孫、)の子政子東國に下向あり、天安元年二月廿五日逝す、其棺を當所に埋め、一堆の塚を築て印とす(今要法寺境内にあり、)其塚上平かなるより、地名起れりと(按ずるに、此事土人の口碑に傳ふるのみ、未考る所なし、)此地宿驛となりし、始め詳ならざれど、古書に往々所見あれば舊く置れし事論なし・・・(新編相模国風土記稿より)
平塚の塚の周辺図