塚越古墳|古墳時代前期の前方後方墳
塚越古墳の概要
塚越古墳は、平塚市にある名所旧跡です。塚越古墳は、古墳時代前期(4世紀)に築造された前方後方墳で、周溝を含め長さおよそ55mを有し、前方後方墳としては相模国内で最大規模を有しています。新編相模国風土記稿では、当古墳とは特定していないものの、「古塚四」と記しており、少なくとも4基の塚を認識、当地に古代有力者がいたことを窺わせています。
名称 | 塚越古墳 |
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区分 | 史跡 |
入場時間 | - |
入場料 | - |
住所 | 平塚市北金目2-15 |
備考 | - |
塚越古墳の由緒
塚越古墳は、古墳時代前期(4世紀)に築造された前方後方墳で、周溝を含め長さおよそ55mを有し、前方後方墳としては相模国内で最大規模を有しています。新編相模国風土記稿では、当古墳とは特定していないものの、「古塚四」と記しており、少なくとも4基の塚を認識、当地に古代有力者がいたことを窺わせています。
境内掲示による塚越古墳について
塚越古墳は古墳時代前期(4世紀)に築造された前方後方墳です。昭和33・34年(1958、59年)に平塚市教育委員会が、墳丘の測量と墳丘主体部の調査を実施しました。主体部からは粘土槨を確認し、朱、菅玉、鉄製品を発見しています。
平成6、8年(1994、96年)には神奈川県教育委員会によって周溝の範囲確認調査が行われ、長らく不明瞭であったこの古墳の形が、前方後方形である可能性が示唆されました。平成13年(2001年)及び平成19年(2007年)に平塚市教育委員会で追加の範囲確認調査を実施した結果、南側周溝内側の形状から前方後方墳であることが確定しました。
墳丘が残る前方後方墳は神奈川県内でも僅かで、塚越古墳は周溝を含め長さおよそ55mの規模を持ち、相模国内でも最大規模の前方後方墳です。古墳時代前期の古墳は生産を基盤とした政治的支配者の出現を意味しますので、ヤマト政権とのかかわりや地域の成り立ちを考えるうえで貴重な文化財といえます。(境内掲示より)
新編相模国風土記稿による塚越古墳について
(北金目村)
古塚四
二は北方に相並びて在、共に大塚と唱ふ(高一は八尺、一は七尺、)一は灰塚と呼び、是も北方に在(高七尺、)一は艮の方に在(高五尺、)塚上に天社と彫たる石を建、共に由来傳はらず、(新編相模国風土記稿より)
塚越古墳の周辺図