大通山法傳寺。小田原新久に創建
法傳寺の概要
日蓮宗寺院の法傳寺は、大通山と号します。法傳寺は、身延山久遠寺第13世寶聚院日傳(天文17年1548年寂)が小田原新久に開山、小田原では花の寺として著名だったようで、小田原北條氏よりの制札を与えられていたといいます。当地の村民二人の助力を得て、延宝5年(1677)に寂遠院日通が当地へ移転させ中興開山しています。
山号 | 大通山 |
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院号 | - |
寺号 | 法傳寺 |
本尊 | 一塔両尊 |
住所 | 平塚市南金目867 |
宗派 | 日蓮宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
法傳寺の縁起
法傳寺は、身延山久遠寺第13世寶聚院日傳(天文17年1548年寂)が小田原新久に開山、小田原では花の寺として著名だったようで、小田原北條氏よりの制札を与えられていたといいます。当地の村民藤間喜兵衛・柏木彌左衛門の助力を得て、延宝5年(1677)に寂遠院日通が当地へ移転させ中興開山しています。
新編相模国風土記稿による法傳寺の縁起
(南金目村)
法傳寺
大通山と號す、法華宗(身延久遠寺末、)開山日傳(本寺十三世寶聚院と號す、天文十七年十二月十一日卒、)天文元年小田原新久に創建す、天正十四年北條氏境内三箇條の制札を與ふ
(曰、禁制、寺内竹木草花以下剪取事、他邦之者、住持無合點而宿借事、見物之貴賤致狼藉事、以上、右三箇條於違犯之輩者、可令披露、可處嚴科者也、仍如県、天正十四年丙戌十二月廿七日、法傳寺、雪簡奉之、北條氏虎朱印、按ずるに、制札の文に據れば、當寺境内に草木を植、花時には遊觀の人ありしと見えたり、)延寶五年三月住僧日通(本寺三十世、寂遠院と號す、延寶七年二月十一日卒、)當村に引移して再建す、故に此僧を中興開山とせり、中興開基は村民二人(一人は喜兵衛と稱し、藤間氏なり、正徳二年七月三日死す、法名道源日到、一人は彌左衛門、柏木を氏とす、天和二年正月三日死す、法名宗信日修、共に子孫あり、)なり、本尊三尊諸尊を置、
【什寶】
△經文切一軸(日蓮筆當寺十一世日承の裏書あり、)
△北條氏制札一通(其文前に註す)
△七面堂(新編相模国風土記稿より)
法傳寺の周辺図
参考資料
- 新編相模国風土記稿