無量山西福寺。龍派禅珠開山
西福寺の概要
臨済宗建長寺派寺院の西福寺は、無量山と号します。西福寺は、足利鑁阿寺と芝長徳寺の住持を兼帯していた龍派禅珠(寛永13年1636年寂)が開山したといいます。龍派禅珠は寒松と号し、徳川家康・秀忠の帰依を受けた高僧です。
山号 | 無量山 |
---|---|
院号 | - |
寺号 | 西福寺 |
本尊 | 正觀世音像 |
住所 | 平塚市横内2291 |
宗派 | 臨済宗建長寺派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
西福寺の縁起
西福寺は、足利鑁阿寺と芝長徳寺の住持を兼帯していた龍派禅珠(寛永13年1636年寂)が開山したといいます。龍派禅珠は寒松と号し、徳川家康・秀忠の帰依を受けた高僧です。
新編相模国風土記稿による西福寺の縁起
(田村)西福寺
無量山と號す、本尊薬師、開山前寺に同じ(開山龍派禅珠(寛永十三年四月廿日卒、按ずるに、龍派は、野州足利鑁阿寺十世の住持にて、武州足立郡芝邑、長徳寺を兼帯す、其頃御歸依僧なり、村の舊家、五郎兵衛所蔵の家系に、此僧は先祖道閑の、曾孫なりと記せり、))、古地頭本多百助の位牌(善立院眞譽實源隠消、正徳二壬辰年九月廿四日、得昇院香譽儀容安山、享保十二丁未年潤正月廿五日と記す、何れか百助の法名たる事を知らず、)を置、
天満宮(新編相模国風土記稿より)
西福寺の周辺図
参考資料
- 新編相模国風土記稿