石田遺跡群|弥生~鎌倉期にかけての遺跡群
石田遺跡群の概要
石田遺跡群は、伊勢原市にある名所旧跡です。石田遺跡群は、愛甲石田駅周辺にある遺跡群で、当地開発に際して発掘調査が実施され、弥生時代の環濠集落や前方後円墳、鎌倉時代初期の輸入陶磁器などが発掘されました。このことから、当地が古くから拓け、平地を見下ろす当地に支配階級の邸宅があったことが確認されています。
名称 | 石田遺跡群 |
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区分 | 史跡 |
入場時間 | - |
入場料 | - |
住所 | 伊勢原市石田 |
備考 | - |
石田遺跡群の由緒
石田遺跡群は、愛甲石田駅周辺にある遺跡群で、当地開発に際して発掘調査が実施され、弥生時代の環濠集落や前方後円墳、鎌倉時代初期の輸入陶磁器などが発掘されました。このことから、当地が古くから拓け、平地を見下ろす当地に支配階級の邸宅があったことが確認されています。また、ロータリー下には竪穴住居跡が多数確認されています。
境内掲示による石田遺跡群について
石田遺跡群
愛甲石田駅周辺の小字「峯」「源太夫」「細谷」「外堀」などには多くの遺跡が存在しています。駅前ロータリーの建設や道路整備、共同住宅の建設に先立つ発掘調査で、駅周辺の台地上に、弥生時代から中世までの遺跡が密集していることが明らかになりました。
弥生時代の遺跡では、ムラの周りを溝で囲んだ環濠集落が、複数確認されています。古墳時代では、円墳とされていた石田車塚古墳が、実は全長八十mを超える前方後円墳であることが分かりました。
弥生時代から平安時代にかかる長い期間、駅前ロータリー付近には竪穴住居が次々とつくられ、大きな集落が広がっていたことが分かりました。また、東側の源太夫では平安時代の貴族や豪族が使った緑色の陶器が大量に出土しました。このことは、この地に中央と関わりを持つ有力者が居住し、古代にあったとされる「石田郷」と呼ばれる村が実際に存在したことを示しています。
また、中世の遺跡からは鎌倉時代初期のかわらけや、陶質の瓦・白磁・青磁といった中国からの輸入陶磁器が大量に出土しており、鎌倉の御家人石田次郎為久の存在を裏付ける資料として、注目されています。
このように、駅周辺の発掘調査により、この台地上が古くから住環境に優れ、江戸時代には矢倉沢往還など、大山街道が通る交通の要所として、重要な地であったころが明らかになっています。(伊勢原市教育委員会掲示より)
石田遺跡群の周辺図