七人塚|糟屋館で謀殺された太田道灌の家臣7名の墓
七人塚の概要
七人塚は、伊勢原市にある名所旧跡です。七人塚は、太田道灌が主君上杉定正に謀殺された際、討死した道灌の家臣7名の墓で、以前は当地も上粕屋神社の境内でしたが、明治時代末期に開墾され、当地には太田道灌の伴頭(供頭)の墓とされる一基が残され、現在も七人塚と呼ばれているといいます。
名称 | 七人塚 |
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区分 | 史跡 |
入場時間 | - |
入場料 | - |
住所 | 伊勢原市上粕屋 |
備考 | - |
七人塚の由緒
七人塚は、太田道灌が主君上杉定正に謀殺された際、討死した道灌の家臣7名の墓で、以前は当地も上粕屋神社の境内でしたが、明治時代末期に開墾され、当地には太田道灌の伴頭(供頭)の墓とされる一基が残され、現在も七人塚と呼ばれているといいます。
境内掲示による七人塚について
七人塚
江戸城の築城で有名な太田道灌が、主君上杉定正に「道灌 謀反心あり」と疑われ、定正の糟屋館に招かれ、刺客によって暗殺されました。そのとき上杉方の攻撃を一手に引き受けて討ち死した道灌の家臣7名の墓で「七人塚」と伝えられています。この塚は、上粕屋神社の境内の杉林の中に7つ並んでいましたが、明治の末に開墾するとき一つ残された伴頭のものといわれ、今でも七人塚と呼ばれています。(環境省・神奈川県掲示より)
七人塚の周辺図