圓光院。伊勢原市石田にある高野山真言宗寺院
圓光院の概要
高野山真言宗寺院の圓光院は、石田山子安寺と号します。圓光院の創建年代等は不詳ながら、賀覺が開基となり修験寺院として創建、その後真言宗寺院に改め、慶淳(享保8年卒)が中興したといいます。明治維新後の神仏分離まで子安神社の別当を勤めていました。当寺の観音像は子安神社の本地仏だったもので、安産子育の観音として著名だといいます。

山号 | 石田山 |
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院号 | 圓光院 |
寺号 | 子安寺 |
本尊 | 不動明王像 |
住所 | 伊勢原市石田928 |
宗派 | 高野山真言宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
圓光院の縁起
圓光院は、優婆賽賀学(賀覺)が開基となり修験寺院として鎌倉時代に創建、その後真言宗寺院に改め、慶淳(享保8年卒)が中興したといいます。明治維新後の神仏分離まで子安神社の別当を勤めていました。当寺の観音像は子安神社の本地仏だったもので、安産子育の観音として著名だといいます。
新編相模国風土記稿による圓光院の縁起
(石田村)
(子安明神社)別當圓光院
石田山子安寺と號す、古義眞言宗(高座郡河原口村、惣持院末、開基の時は修驗なり、當宗に改めし年代を失す)開基賀覺中興慶淳(享保八年十月十九日卒、)本尊不動(行基作、長三尺)
稲荷社
焔魔堂(新編相模国風土記稿より)
「全国寺院名鑑」による圓光院の縁起
鎌倉時代優婆賽賀学の創建三浦堂石田為久の城跡にあり、古来石田子安神社の別当を勤めた。維新の神仏分離の際、子安神社の本地仏子安観音三体を引取り安置した。安産子育の観音として近郷に著名。(「全国寺院名鑑」より)
圓光院の周辺図