普済寺。上杉寺月鑑明公が開基
普済寺の概要
臨済宗建長寺派寺院の普済寺は、千秋山と号します。普済寺は、上杉寺月鑑明公が開基、節翁中勵(文正元年1466年卒)が開山となり創建、慶安元年寺領10石の御朱印状を受領したといいます。江戸期には法徳庵(札所第三十番)、観音寺の二ヶ寺の塔頭を擁していました。
山号 | 千秋山 |
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院号 | - |
寺号 | 普済寺 |
本尊 | 地蔵菩薩像 |
住所 | 伊勢原市下糟屋2327 |
宗派 | 臨済宗建長寺派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
普済寺の縁起
普済寺は、上杉寺月鑑明公が開基、節翁中勵(文正元年1466年卒)が開山となり創建、慶安元年寺領10石の御朱印状を受領したといいます。江戸期には法徳庵(札所第三十番)、観音寺の二ヶ寺の塔頭を擁していました。
新編相模国風土記稿による普済寺の縁起
(下糟屋村)普済寺
千秋山と號す、臨済宗、鎌倉建長寺末、開山節翁中勵(文正元年五月四日卒)、開基上杉寺月鑑明公(上杉氏なるべけれども、俗称を傳へず、且卒年月も詳ならず、十五日を忌日とす)、中興玄税(寛文十年八月廿七日卒)、本尊地蔵(長一尺三寸五分、行基作)、慶安元年八月、寺領十石の御朱印を賜へりしが、享保十八年紛失し(追て書替賜るべき由、命ありしと云、按ずるに雑話燭談附録に、享保廿年六月、當寺御朱印紛失に依て、諸方へ其尋を觸られし事見えたり)、今其寫三通を蔵す、本堂の軒に、宝暦四年の鋳鐘を掛。
稲荷天神秋葉金毘羅合社。
塔頭。
法徳庵、開山玄悦、本尊正観音、行基作。長四寸八分、當国札所第三十番なり。
観音寺。本尊は運慶作の閻魔なりしが、明和中丙丁に罹れり、以上二寺は、境外にありしが、今共に廃して、寺地のみ存す。(新編相模国風土記稿より)
普済寺の周辺図