甘縄神明神社。行基が草創した寺院を染屋太郎時忠が神明宮と神輿山円徳寺として建立、旧村社
甘縄神明神社の概要
甘縄神明神社は、鎌倉市長谷にある神明神社です。甘縄神明神社の創建年代は、和銅3年(710)に行基が草創した寺院を起源とし、染屋太郎時忠が神明宮と神輿山円徳寺として建立したといいます。明治維新により神輿山甘縄院が廃寺したのに伴い、甘縄神明社となったといいます。明治6年村社に列格、明治20年には五社明神社を合併したといいます。
社号 | 神明神社 |
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祭神 | 天照大御神 |
相殿 | - |
境内社 | 五社明神、秋葉社 |
祭日 | 9月14日 |
住所 | 鎌倉市長谷1-12-1 |
備考 | 旧村社 |
甘縄神明神社の由緒
甘縄神明神社の創建年代は、和銅3年(710)に行基が草創した寺院を起源とし、染屋太郎時忠が神明宮と神輿山円徳寺として建立したといいます。明治維新により神輿山甘縄院が廃寺したのに伴い、甘縄神明社となったといいます。明治6年村社に列格、明治20年には五社明神社を合併したといいます。
神奈川県神社誌による甘縄神明神社の由緒
『相州鎌倉郡神輿山甘縄寺神明宮縁起略』(正徳二年一七一二銘)によれば、和銅三年(七一〇)八月行基の草創になり、染屋太郎時忠が山上に神明宮、麓に神輿山円徳寺を建立したことにはじまるという。また源頼義が当社に祈って八幡太郎義家を当地に生み、康平六年(一〇六三)当社を修復、義家も永保元年(一〇八一)に修復を加えたという。
『吾妻鏡』によれば、伊勢別宮として源頼朝が崇敬し、文治二年(一一八六)十月社殿を修理し、四面に荒垣及び鳥居を建て、また建久五年(一一九四)までに三度参詣している。夫人政子は二度、実朝も一度参詣している。
『相模風土記』には「神明宮、里俗甘縄明神と唱う」「別当臨済宗甘縄院」とある。
明治維新の神仏分離により、別当甘縄院は廃絶し神明宮は明治六年十二月村社に列格され、明治二十年五月、五社明神社を合併し、明治四十年四月神饌幣帛料供進神社に指定された。
昭和七年社号を甘縄神明神社と改称した。旧社殿は大正十二年の関東大贋災に倒潰し、現社殿は昭和十二年九月新築復興した。長谷区の氏神社である。(神奈川県神社誌より)
甘縄神明神社所蔵の文化財
- 北条時宗産湯の井戸
甘縄神明神社の周辺図