龍口明神社。腰越鎮守、旧村社、旧称夷三郎社
龍口明神社の概要
龍口明神社は、鎌倉市腰越にある神社です。龍口明神社の創建年代は、片瀬・津・腰越の境界地(龍口明神社元宮地)に欽明天皇13年(641)創建、江島神女の霊感により降伏した五頭龍を祭神としています。明治維新後の社格制定に際して村社に指定されていました。昭和53年当地へ遷座しています。
社号 | 龍口明神社 |
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祭神 | 玉依姫命 |
相殿 | 五頭龍大神 |
境内社 | 経六稲荷神社 |
祭日 | 例祭日:10月第一土日曜日 |
住所 | 鎌倉市腰越1548-4 |
備考 | - |
龍口明神社の由緒
龍口明神社の創建年代は、片瀬・津・腰越の境界地(龍口明神社元宮地)に欽明天皇13年(641)創建、江島神女の霊感により降伏した五頭龍を祭神としています。明治維新後の社格制定に際して村社に指定されていました。昭和53年当地へ遷座しています。
神奈川県神社誌による龍口明神社の由緒
縁起に依れば、欽明天皇十三年(六四一)四月の創立といい、江島神女の霊感で降伏した深沢に棲んでいた五頭龍を祀るという。
『相模風土記』に「龍口明神社、津村、腰越両村の鎮守なり(中略)津宝善寺持」とある。この地付近は、社は津村の郷であり、安永二年(一七七三)片瀬村の領域に帰する事になったが神社地及び社有地は飛地として津村のものになっている。しかし神社地が氏子地区の辺隅である隣接行政地域に飛地として地理的に極めて不自然な形態をとって鎮座していたがため、氏子より遷座移転の要望が強く、氏子地域内に遷座する事を決定し、昭和五十三年九月三十日に遷座祭を斎行し神厳な威容をもって鎮座された。
元指定村社で津村区の氏神社である。五頭龍降伏の伝説に伴い、江島神社六十一年式年大祭には必ず神輿が江の島に渡るを古例としている。(神奈川県神社誌より)
新編相模国風土記による龍口明神社の由緒
(片瀬村)
龍口明神社
津村腰越兩村の鎮守なり、社地元は當村津村・腰越三村に接して所屬定らざりしが、安永二年の爭論より當村の屬に定まると云ふ、神躰五頭の蛇形(長一尺泰澄作)にて白髭明神(長五寸同作)を前立とす、相傳へて欽明帝十三年江島神女の靈感に因て、降伏せし深澤の毒龍(【註畫賛】からの引用省略)を祀れると云ふ、例祭九月九日津寶善寺持、(新編相模国風土記より)
龍口明神社の周辺図