六角の井|鎌倉十井の一、矢の根井戸
六角の井の概要
六角の井は、鎌倉市にある名所旧跡です。六角の井は、八角形をした井戸で、二角が小坪分・六角が鎌倉分といわれることから六角の井と呼ばれ、鎌倉十井の一と称されます。平安時代末期には、源為朝が伊豆大島から射た矢がこの井戸に落ち、鏃が残ったころから「矢の根井戸」とも呼ばれます。
名称 | 六角の井 |
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区分 | 史跡 |
入場時間 | - |
入場料 | - |
住所 | 鎌倉市材木座6-23-9 |
備考 | - |
六角の井の由緒
六角の井は、八角形をした井戸で、二角が小坪分・六角が鎌倉分といわれることから六角の井と呼ばれ、鎌倉十井の一と称されます。平安時代末期には、源為朝が伊豆大島から射た矢がこの井戸に落ち、鏃が残ったころから「矢の根井戸」とも呼ばれます。
境内石碑による六角の井について
六角の井
この井戸は、鎌倉十井の一つです。
井戸端は八角あり、そのうちの六角が鎌倉分、二角が小坪分といわれています。
別名、矢の根井戸ともいい、源為朝が伊豆大島から射た矢がこの井戸に落ち、やじりが残ったところからこの名がついたといわれています。かつては井戸替えの際に、やじりを入れる竹筒を取り替えていましたが、これを怠った年は悪い病がはやったと伝えます。やじりは、今も竹筒に封じ手井戸の中段にまつってあります。(鎌倉青年会議所掲示より)
新編相模国風土記稿による六角の井について
(材木座村)
六角井
飯島にあり又矢根井とも唱ふ、石にて六角に壘たり鎌倉十井の一なり、里俗の話に昔椿西八郎爲朝大島に在て我弓勢昔に變らずやとて天照山(村内光明寺の後山をしか字せり)を斥て遠矢を射る、其矢十八里を越て此井中に落たり、里民其矢を取揚げるに鏃は井底に殘る、今も井中を浚へば其鏃を見ると云ふ或時取出して明神に納めければ井水涸たり又井中に投ずれば元の如く涌出すと云へり、鏃の長四五寸許ありと云ふ、(新編相模国風土記稿より)
「逗子町誌」による六角の井について
飯島
此村の南に六角井と云ふ名水あり。鎌倉十井の一つなり、石にてたゝみたり、里俗の云、昔鎮西の八郎源爲朝。伊豆の大島より我が弓勢昔にかはらずやとて、天照山をさして遠矢を射る、其矢十八里を越えて此井の中に落たり。里民矢を取上ぐれば、鏃は井の中に留る、今も井を掃除すれば、其の鏃を見ると云ふ。或時取上て明神に納めければ、井戸の水かはけり、又井の中へ入るれば、本の如く水涌出ると也。鏃の長四五寸有と云ふ。鶴岡一の鳥居より此地まで四十町餘あり。
矢の根井
(三浦郡誌)又六角井とも云ふ、飯島に在り石にて六角に築けり、深さ三丈一尺、直經七尺四寸、鎌倉十井の一つなり、傳説によれば、昔椿西八郎為朝伊豆の大島に流され弓勢の衰へしか否かを驗さんとて天照山を望みて遠矢を射る、天照山は鎌倉光明寺の後山なり、其の矢十八里の海上を越へて此の井戸に落ちたり、里民其の矢を取揚げたるに鏃は井底に殘れり、鏃は鏑矢にして長さ五寸八分、此を取り出せば井水涸るゝといふ。(「逗子町誌」より)
六角の井の周辺図