極楽寺。鎌倉市極楽寺にある真言律宗寺院

猫の足あとによる神奈川県寺社案内

霊鷲山極楽寺。北條泰時開基、鎌倉三十三観音霊場

極楽寺の概要

真言律宗寺院の極楽寺は、霊鷲山感応院と号します。極楽寺は、弘法大師が護摩行をしたとされる当地に北條泰時が開基となり承久元年(1219)に創建、新田義貞の鎌倉攻めに際して焼失してしまい西谷へ逃れていたものの、元禄年間に祐尊が当地に中興したといいます。鎌倉三十三観音霊場22番、鎌倉二十四地蔵尊霊場20・21番です。

極楽寺
極楽寺の概要
山号 霊鷲山
院号 感応院
寺号 極楽寺
本尊 -
住所 鎌倉市極楽寺1-1-5
宗派 真言律宗
葬儀・墓地 -
備考 水戸徳川家所縁の尼寺



極楽寺の縁起

極楽寺は、北條重時公が発願し正元元年(1259)に創建、北條重時が薨去したため、その子執権北條長時と及び業時兄弟が当地に七堂伽藍を整え、文永4年(1267)に忍性菩薩を迎えて開山したといいます。

鎌倉市掲示による極楽寺の縁起

開山は良観房忍性。奈良西大寺叡尊門下で戒律を学ぶ。弘長二年(一二六二)に北条業時に招かれて多宝寺住持となり、その後文永四年(一二六七)に極楽寺に開山として迎えられました。
極楽寺は正元元年(一二五九)に深沢に創建され、後に開基となる北条重時が現在地に移転したといわれています。元寇に際しては、幕府の命により異国降伏の祈祷を行い、また、鎌倉幕府滅亡後も勅命により国家安泰を祈る勅願所としての寺格を保ちました。かつての寺域は広大で、中心の七堂伽藍を囲むように多くの子院、そして療病院などの病院施設もあったことが当寺に伝わる絵図からわかります。(鎌倉市掲示より)

境内掲示による極楽寺の縁起

霊鷲山感応院極楽律寺
真言律宗南都西大寺末
開基北條重時公
開山良観房忍性菩薩
当山は北條重時公の発願にして、正元元年(一二五九)創建と伝えられる。
重時はその業半ばにして薨じ、その男執権長時及び業時兄弟によって、文永年間(一二六四-一二六六)東西八丁、南北七丁に及ぶ寺域に、七堂伽藍、四十九院を完備せる壮大な寺院が完成された。その後相次ぐ天災兵火の為、当初の建物は失われ、現在、文久三年(一八六三)の再建になる山門及び本堂、大師堂、客殿が残るのみである。
開山忍性菩薩は勧学院を興して律の教学を広める一方、施設院、悲田院、施益院、癩宿、馬病舎等を設け、病者、貧者の救済に努めた。現在境内に残る千服茶臼、石造製薬鉢にその名残を止めている。又土木事業も盛んにし、極楽寺切通しを開いたことも有名である。その技術は世に称えられ嘉元元年(一三〇三)八十七才で没した後、後醍醐天皇により菩薩号を贈られている。(境内掲示より)


極楽寺所蔵の文化財

  • 釈迦如来立像(重要文化財)
  • 釈迦如来坐像(重要文化財)
  • 十大弟子(重要文化財)
  • 不動明王像(重要文化財)
  • 密教法具(重要文化財)
  • 忍性塔(五輪塔)(重要文化財)
  • 薬師如来像
  • 文殊菩薩像

極楽寺の周辺図