普明山成就院。北條泰時開基、鎌倉三十三観音霊場
成就院の概要
真言宗大覚寺派寺院の成就院は、普明山法立寺と号します。成就院は、弘法大師が護摩行をしたとされる当地に北條泰時が開基となり承久元年(1219)に創建、新田義貞の鎌倉攻めに際して焼失してしまい西谷へ逃れていたものの、元禄年間に祐尊が当地に中興したといいます。鎌倉三十三観音霊場21番、東国八十八ヵ所霊場83番です。
山号 | 普明山 |
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院号 | 成就院 |
寺号 | 法立寺 |
本尊 | 木像阿弥陀三尊立像 |
住所 | 鎌倉市極楽寺1-1-5 |
宗派 | 真言宗大覚寺派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | 水戸徳川家所縁の尼寺 |
成就院の縁起
成就院は、弘法大師が護摩行をしたとされる当地に北條泰時が開基となり承久元年(1219)に創建、新田義貞の鎌倉攻めに際して焼失してしまい西谷へ逃れていたものの、元禄年間に祐尊が当地に中興したといいます。
新編相模国風土記稿による成就院の縁起
(極楽寺村)成就院
普明山法立寺と號す、古義真言宗(手廣村青蓮寺末、)北條泰時開基すと云ふ、縁起に據に空海江島に錫を駐めし時此地に於て護摩供を修す、此時泰時高僧を請して承久元年一宇を建立し願成就院と稱し大師護摩の靈場なるを以て普明山と號すとなり、管領成氏が時は毎年正月住持を營中に饗待あり
(注釈を読む)
永禄五年十月大道寺駿河守政繁寺内制札の副状を出せり(注釈を読む)
當寺元弘の亂に寺地を蹂踐せられ、西谷に遁れて星霜を送りけるが元禄年中現住祐尊が時舊地に還住し再興せり、故に祐尊を中興とす(元禄十四年十月十一日寂す)本尊不動を置く、
△稲荷社。境内の鎮守とす(新編相模国風土記稿より)
成就院栞による成就院の縁起
弘法大師さまの由緒ある地に1219年北条泰時が願いを込め本尊に、縁結び不動明王さまをまつり建立。
1333年鎌倉攻めの時に焼失したが元禄年中に復興され現在に至る。
由比ヶ浜を望む108段の階段両側に般若心経の文字数と同じ262株のアジサイを元寇の役供養の為に植える。(成就院栞より)
成就院の周辺図