浄妙寺。鎌倉市浄明寺にある臨済宗建長寺派寺院

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浄妙寺。足利義兼が開基、鎌倉五山の第五位

浄妙寺の概要

臨済宗建長寺派寺院の浄妙寺は、稲荷山壽福金剛禅寺と号します。源頼朝の重臣足利義兼が開基となり、退耕行勇律師を開山に迎えて文治4年(1188)極楽寺として創建しました。建長寺開山蘭渓道隆の弟子月峯了然入山し、臨済宗に宗旨を改め、浄妙寺と改号したといいます。足利義満が五山の制を定めた頃には境内に23の塔頭を擁す大寺院だったといいます。鎌倉五山の第五位、鎌倉三十三観音霊場9番となっています。境内には、茶室喜泉庵、石窯ガーデンテラスといった喫茶室があり、ゆっくりと過ごすことが可能です。

浄妙寺
浄妙寺の概要
山号 稲荷山
院号 -
寺号 浄妙寺
本尊 釈迦如来像
住所 鎌倉市浄明寺3-8-31
宗派 臨済宗建長寺派
葬儀・墓地 -
備考 鎌倉五山の第五位、鎌倉三十三観音霊場9番



浄妙寺の境内

浄妙寺は、三門から本堂まで境内庭園が広がり、本堂を正面に見て左側に喜泉庵が、右側奥に本寂堂・鎌足稲荷神社があります。本堂奥の墓域を進むと、石窯ガーデンハウス・オープンテラスに出ます。

喜泉庵

当寺には、天正年間(1500年代)僧が茶を喫したという喜泉庵があったといいます。平成3年、枯山水を臨みながら抹茶を喫茶できる施設として復興しました。(抹茶500円)

本寂堂

仏・法・僧の三宝を守護する、当山鎮護の神としてお鎮りの神さまです。
竈神として火難を防ぐ神さまとしても篤く信仰され、「古事記」には大年神の御子奥津日子神、奥津比売神(別名大戸比売神)とされています。
当山の三宝荒神さまは火除け、厄除け、災難除けの霊験あらたかとしてそのご神徳が慕われています。(境内掲示より)

鎌足稲荷神社

鎌足稲荷神社は、境内の鎮守です。藤原鎌足が護持していた鎌を、大化の改新後当地に埋納したといい、鎌足稲荷神社が、地名鎌倉の由来になったともいいます。(異説あり)

大織冠藤原鎌足公は乳児の時、稲荷大神さまから鎌を授けられ、以来、常にお護りとして身につけ、大神さまのご加護を得られました。大化元年(645)中大兄皇子(後の天智天皇)らとの協力のもと蘇我入鹿を討って大願を成就された鎌足公は翌大化2年(646)東国に向かわれ、相模国由井の里に宿泊されました。
その夜、「あなたに鎌を授けて守護してきたが、今や入鹿討伐という宿願もなし遂げたから、授けた鎌を我が地に奉納しなさい」との神告があり、お告げのままに鎌を埋納したことによるとされています。
「お稲荷さま」というとキツネをイメージする人もいますが、キツネは稲荷大神のお使いであって、稲荷大神そのものではありません。(境内掲示より)


浄妙寺の縁起

浄妙寺は、源頼朝の重臣足利義兼が開基となり、退耕行勇律師を開山に迎えて文治4年(1188)極楽寺として創建しました。建長寺開山蘭渓道隆の弟子月峯了然入山し、臨済宗に宗旨を改め、浄妙寺と改号したといいます。足利義満が五山の制を定めた頃には境内に23の塔頭を擁す大寺院だったといいます。退耕行勇は栄西禅師の下で臨済禅を学び、源頼朝や北条政子、源実朝などが帰依した高僧です。鎌倉五山の第五位、鎌倉三十三観音霊場9番となっています。

鎌倉市掲示による浄妙寺の縁起

源頼朝の伊豆挙兵以来の重臣足利義兼が、退耕行勇を開山として建立しました。行勇は源頼朝や政子が帰依した高僧です。
鎌倉五山第五位の由緒ある禅宗の寺で、室町時代は境内に二十三の塔頭を持つ大寺院でした。現在は総門、本堂、客殿、庫裡が残っています。茶室・喜泉庵と枯山水の庭は平成3年に復元されました。
本堂の奥にある鎌足稲荷神社は鎌倉の地名の由来になったとされています。(鎌倉市掲示より)


浄妙寺所蔵の文化財

  • 浄妙寺境内(国史跡)
  • 木造釈迦如来坐像
  • 木造退耕行勇坐像(国重要文化財)
  • 木造阿弥陀如来立像
  • 三宝荒神立像
  • 伽藍神倚像
  • 達磨大師坐像
  • 木造淡島大明神立像
  • 藤原鎌足像
  • 絵本淡彩地蔵菩薩像 足利尊氏自画賛(鎌倉市指定文化財)
  • 金銅燈籠
  • 青磁香炉
  • 絵本墨画浄妙寺境内絵図
  • 絵本墨書浄妙寺文書
  • 足利貞氏墓(鎌倉市)文化財

浄妙寺の周辺図