宝戒寺。鎌倉市小町にある天台宗寺院、ハギ寺
宝戒寺の概要
天台宗寺院の宝戒寺は、金龍山釈満院円頓宝戒寺と号します。滅亡した北条氏を弔うため、後醍醐天皇が開基となり、五代国師(円観慧鎮慈威)を開山に迎えて建武2年(1335)創建しました。当地は、北条氏の屋敷跡といわれ、北条氏の鎮魂のため、北条氏一族の菩提寺であった東勝寺(廃寺)を当地に移して、宝戒寺としたといいます。秋にはハギが爛漫と咲き誇り、「ハギ寺」としても有名です。鎌倉二十四地蔵尊霊場初番、鎌倉三十三観音霊場2番、鎌倉・江の島七福神の毘沙門天です。
山号 | 金龍山 |
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院号 | 釈満院 |
寺号 | 円頓宝戒寺 |
本尊 | 子育経読地蔵大菩薩像 |
住所 | 鎌倉市小町3-5-22 |
宗派 | 天台宗 |
縁日 | 地蔵祭:5月22-24日、地蔵盆大施餓鬼会:7月24日 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | 鎌倉二十四地蔵尊霊場初番、鎌倉三十三観音霊場2番、鎌倉・江の島七福神の毘沙門天 |
宝戒寺の縁起
宝戒寺は、滅亡した北条氏を弔うため、後醍醐天皇が開基となり、五代国師(円観慧鎮慈威)を開山に迎えて建武2年(1335)創建しました。当地は、北条氏の屋敷跡といわれ、北条氏の鎮魂のため、北条氏一族の菩提寺であった東勝寺(廃寺)を当地に移して、宝戒寺としたといいます。秋にはハギが爛漫と咲き誇り、「ハギ寺」としても有名です。鎌倉二十四地蔵尊霊場初番、鎌倉三十三観音霊場2番、鎌倉・江の島七福神の毘沙門天です。
鎌倉市掲示による宝戒寺の縁起
新田義貞の鎌倉攻めにより、この寺の南東にある「腹切りやぐら」で、最後の執権・北条高時をはじめ北条一族八百七十余名が自害したと伝えられています。
滅亡した北条氏の霊を弔うため、また修行道場として、後醍醐天皇が足利尊氏に命じ、北条氏の屋敷があったとされるこの地に寺を建立させました。
境内には四季を通じて花が咲き、9月には白いハギで埋めつくされる「萩の寺」として有名です。(鎌倉市掲示より)
宝戒寺掲示による北條執権邸旧蹟について
北條執権邸旧蹟
往時此ノ地に北條氏ノ小町亭在リ義時以後累代執権概ネ皆之ニ住セリ彼ノ相模入道ガ朝暮ニ宴会ヲ張リ時ニ田楽法師ニ対シ列座ノ宗族巨室ト倶ニ真垂大口シ争ヒ解キテ纏頭ノ山ヲ築ケリト言フ
此ノ亭ナハ元弘三年新田義貞乱入ノ際灰燼ニ帰ス。令ノ寶戒寺ハ建武二年足利尊氏ガ高解き一族ノ怨魂弔祭ノ為北條氏ノ菩提寺東勝寺ヲ以亭放地ニ再興シ以テ其ノ号ヲ改メシモノナリ(大正7年3月建立 鎌倉町青年会の石碑より)
宝戒寺所蔵の文化財
- 子育経読地蔵大菩薩像(国重要文化財)
- 木造梵天・帝釈天立像(県重要文化財)
- 唐仏地蔵尊
- 十王尊像
- 聖徳太子像
- 毘沙門天像
- 大聖歓喜双身天王(国重要文化財)
- 仏舎利
- 十一面観世音菩薩像
宝戒寺の周辺図