海蔵寺。上杉氏定開基、十六の井、底脱の井、鎌倉三十三観音霊
海蔵寺の概要
臨済宗建長寺派寺院の海蔵寺は、扇谷山と号します。鎌倉公方足利氏満の命により、上杉氏定が開基となり、心昭空外(源翁禅師)を開山として、応永元年(1394)創建しました。鎌倉三十三観音霊場26番、鎌倉二十四地蔵尊霊場15番となっている他、境内には十六の井、底脱の井があります。
山号 | 扇谷山 |
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院号 | - |
寺号 | 海蔵寺 |
本尊 | 宝冠釈迦如来 |
住所 | 鎌倉市扇ガ谷4-18-8 |
宗派 | 臨済宗建長寺派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | 十六の井、底脱の井、鎌倉三十三観音霊場26番、鎌倉二十四地蔵尊霊場15番 |
海蔵寺の縁起
海蔵寺は鎌倉公方足利氏満の命により、上杉氏定が開基となり、心昭空外(源翁禅師)を開山として、応永元年(1394)創建しました。源翁禅師は、殺生石伝説にまつわる謡曲殺生石で有名な僧です。
鎌倉市掲示による海蔵寺の縁起
鎌倉時代、七堂伽藍を持つ規模の大きい寺があったと伝えられますが、鎌倉幕府滅亡時に焼失し、その後、応永元年(1394)に鎌倉公方足利氏満の命で、上杉氏定が心昭空外を招いて再建され。扇ヶ谷上杉氏の保護を受けて栄えました。
この寺には多くの言い伝えがあります。空外は「那須の殺生石」の話で有名です。仏殿の薬師如来坐像は「啼薬師」、「児護薬師」といわれ、胎内には仏面を収めており、啼薬師伝説があります。
門前には、「千代能が いただく桶の 底脱けて 水たまらねば 月もやどらじ」とうたわれたと伝えられる「底脱の井」や、鎌倉時代の遺跡である「十六の井」もあり、水の寺といわれています。(鎌倉市掲示より)
海蔵寺所蔵の文化財
- 底脱の井
- 十六の井
- 嘉元4年(1306)銘阿弥陀三尊来迎図板碑
- 木像大形古位牌
- 雲龍・山水図、狩野探信筆
- 牡丹唐獅子図
底脱の井
この井戸は、鎌倉十井の一つです。
中世の武将の安達泰盛の娘・千代能が、ここに水を汲みに来た時、水桶の底がすっぽり抜けたため、「千代能がいただく桶の底脱けて、水たまらねば 月もやどらず」
とうたったことから、この名がついたといわれています。
井戸の底ではなく、心の底が抜けて、わだかまりが解け、悟りが開けたという投機(解脱)の歌です。(鎌倉青年会議所掲示より)
海蔵寺の周辺図