新居山円応寺。国重要文化財の閻魔大王像
円応寺の概要
臨済宗建長寺派寺院の円応寺は、新居山と号します。円応寺は、由比ヶ浜大鳥居の東南に修験者寶蔵院が閻魔堂を建長2年(1250)創建、江戸時代中期頃に当地へ移転したといいます。閻魔大王像は国重要文化財です。鎌倉二十四地蔵尊霊場8番です。
山号 | 新居山 |
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院号 | - |
寺号 | 円応寺 |
住所 | 鎌倉市山ノ内1543 |
宗派 | 臨済宗建長寺派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | 水戸徳川家所縁の尼寺 |
円応寺の縁起
円応寺は、由比ヶ浜大鳥居の東南に修験者寶蔵院が閻魔堂を建長2年(1250)創建、江戸時代中期頃に当地へ移転したといいます。
新編相模国風土記稿による円応寺の縁起
(山之内村)新居閻魔堂
新居山圓應寺と號す(【鎌倉年中行事】には閻王寺に作る)今建長寺塔頭に屬す、開建は建長二年、開山は智覺、此舊は由比ヶ濱大鳥居の東南に在しと云、其頃迄は別當修験者にて寶蔵院と云しとぞ、今の子袋坂の南邊に移せし年代は近世の事と覺ゆれども詳ならず(按ずるに、貞享の初刊行せし、【鎌倉志】には、由比ヶ濱に在と記したれば、猶夫より後の事としらる)閻魔・俱生神・奪衣婆・惡鬼等の像を置く(舊像は、共に運慶作、今は然らず、猶下に委く辨ず、)寛文十三年閻魔の像を修補せし時、腹内より舊き片紙を見出せり、夫に建長二年出来、永正十七年再興、佛師下野法眼如圓建長役人、徳順判、興瑚判と記せりと云ふ、
(按ずるに、應安明應の頃、逆浪の爲に、堂宇及び、木像等亡失せしを、後漸々に再興ありしなり、然に今俱生神・奪衣婆・惡鬼等の像は、古のまゝにて、運慶の作なりと云傳ふれど、是も亦永正の頃再造せしものなり、)
堂領として建長寺の内、永三貫文を充つ(新編相模国風土記稿より)
円応寺の周辺図