歸命山延命寺。北条時頼夫人の念持仏身代り地蔵尊
延命寺の概要
浄土宗寺院の延命寺は、歸命山と号します。延命寺の創建年代等は不詳ながら、北条時頼夫人の念持仏身代り地蔵尊を奉安する地蔵堂として正慶年間(1332-1333)に創始、専蓮社昌誉能公が中興開山したといいます。鎌倉三十三観音霊場第11番、鎌倉二十四地蔵尊霊場第23番です。
山号 | 歸命山 |
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院号 | - |
寺号 | 延命寺 |
本尊 | 阿弥陀如来像 |
住所 | 鎌倉市材木座1-1-3 |
宗派 | 浄土宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
延命寺の縁起
延命寺の創建年代等は不詳ながら、北条時頼夫人の念持仏身代り地蔵尊を奉安する地蔵堂として正慶年間(1332-1333)に創始、専蓮社昌誉能公が中興開山したといいます。
新編相模国風土記稿による延命寺の縁起
(大町村)延命寺
米町にあり、歸命山と號す(前寺末:安養院末)本尊彌陀(立像長二尺二寸五分、運慶作、)及び地蔵(立像長五尺二寸、是も同作と傳ふ、)を安ず、此像は北條時賴の夫人が念持佛にて身代地蔵と稱す、夫人此佛徳にて無實の難を遁れし事あり故に身代の稱起れりと云(或は裸地蔵の唱へありて、其名義の傳【鎌倉志】に見え今も寺傳に存すれど、べつに信用すべき事ならねば、爰には贅せず、)是より北條氏代々の念持佛なりしが正慶年中更に一宇を建立して安置せしと傳へ、即其時の記今猶ありと云ふ、此餘淺野内匠頭長矩の臣四十六士の畫像を置く(寺傳に彼の士の内、岡嶋八十右衛門の三男、當寺の住職たりし故、安ずるなりと云ふ、)又彼士等が姓名、所行の略記一巻あり(巻末に富森助右衛門正明記、寛保二年六月、當寺に長納、納主井上左大夫支配、小倉件右衛門と記す、)(新編相模国風土記稿より)
延命寺の周辺図
参考資料
- 新編相模国風土記稿