南向山補陀洛寺。文覚上人を開基として源頼朝が創建
補陀洛寺の概要
真言宗大覚寺派寺院の補陀洛寺は、南向山歸命院と号します。補陀洛寺は、平氏追討の院宣を源頼朝に渡したとも伝えられる文覚上人を開基として、源頼朝が養和元年(1181)に創建したといいます。その後衰退した当寺を鶴岡八幡宮の供僧佛乗房浄國院賴基大夫法印(文和4年1355年寂)が中興しています。鎌倉三十三観音霊場第16番、東国八十八ヵ所霊場81番です。
山号 | 南向山 |
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院号 | 歸命院 |
寺号 | 補陀洛寺 |
住所 | 鎌倉市材木座6-7-31 |
宗派 | 真言宗大覚寺派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
補陀洛寺の縁起
補陀洛寺は、平氏追討の院宣を源頼朝に渡したとも伝えられる文覚上人を開基として、源頼朝が養和元年(1181)に創建したといいます。その後衰退した当寺を鶴岡八幡宮の供僧佛乗房浄國院賴基大夫法印(文和4年1355年寂)が中興しています。
新編相模国風土記稿による補陀洛寺の縁起
(材木座村)補陀落寺
南向山歸命院と號す、古義眞言宗(往昔京都仁和寺に屬せしが、今は手廣村青蓮寺末たり)開山は文覺にて養和元年賴朝祈願所として創建あり(注釈)
其後頽廢せしを鶴岡の供僧賴基(鶴岡供僧次第に、佛乗房浄國院賴基大夫法印、文和四年二月二日寂す、千田大僧都と號すとあり、)中興せり、天文二十三年十一月北條氏より棟別錢免除の下知あり(注釈)
本尊不動(注釈)
及び薬師(長三尺七寸行基作)日光・月光・十二神(長各二尺八寸、共に運慶作)十一面觀音(長三尺八寸許行基作、往昔の本尊なりと云ふ)地蔵二軀(一は鐡佛、長一尺許、門前の井中より出現せしと云ふ、一は弘法作、長一尺七寸)大黒(長尺許傳教作)大日(長八寸許)賓頭盧(長三尺已上弘法作)等の像を置く、又賴朝の木像あり(長八寸許四十二歳の自作と云ふ)鏡の御影と稱せり、同位牌あり(征夷将軍二品幕下神儀とあり文覺の書と云ふ)開山文覺の牌もあり(開山權僧正法眼文覺尊儀とあり)
【寺寶】
△八幡畫像一幅(束帶にて袈裟をかけ、數珠を持しむ、冠より一寸ばかり上に、日輪を畫く、)△寶満菩薩像一幅(應神帝の姨にて、見目明神と稱すとなり)△卓圖一張(賴朝の寄附にて、平家調伏の打敷と云ふ、孔雀鳳凰の繍文あり)△旗一流(平家赤旗と稱し、文字は相國清盛の筆と傳ふ、)△古文書五通。天文廿二年北條氏が棟別錢の免状二通、某年大道寺周勝が修補料寄進状一通、某年文龍の書翰一通、天正十八年豊臣太閤の制札一通、
△牛頭天王見目明神合社。大道寺源六周勝車両二貫三百文及び寺内修補の料を寄附せし事所蔵文書に見えたり(古文書部、照し見るべし、)
△住吉社(新編相模国風土記稿より)
補陀洛寺の周辺図
参考資料
- 新編相模国風土記稿