細山神明社。鎌倉時代に創祀、細山村の鎮守社
細山神明社の概要
細山神明社は、川崎市麻生区細山にある神社です。細山神明社の創建年代等は不詳ながら、鎌倉時代に祀り始められたと伝えられ、細山村の鎮守社だったといいます。明治6年(1873)に細山村の村社に列格、明治44年には細山村の稲荷社(北谷)、杉山社(南田)、秋葉社(大久保)、春日社(向原)及び金程村の杉山社等を合祀したといいます。
社号 | 神明社 |
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祭神 | 天照大神 |
相殿 | 倉稲魂神、児屋根命、五十猛命、猿田彦命 |
境内社 | - |
祭日 | 7月18日 |
住所 | 川崎市麻生区細山2-6-1 |
備考 | - |
細山神明社の由緒
細山神明社の創建年代等は不詳ながら、鎌倉時代に祀り始められたと伝えられ、細山村の鎮守社だったといいます。明治6年(1873)に細山村の村社に列格、明治44年には細山村の稲荷社(北谷)、杉山社(南田)、秋葉社(大久保)、春日社(向原)及び金程村の杉山社等を合祀したといいます。
新編武蔵風土記稿による細山神明社の由緒
(細山村)
神明社
字大久保の内丘の邊なるくぼき所に在、村の鎮守なり、鎮座の年代をしらず、僅かなる社にて覆屋あり、西に向ふ、社前一丁餘を隔てて鳥居をたつ、ここより社前までは下り坂なる故土人これを逆大門とよぶ、尋常の大門は皆坂下より上へ登れるに、ここのみはかへりて下る故なりと云、村持。
稲荷社
これも大久保谷にあり、村の鎮守なりと云、本社は宮作にて四間に二間の覆屋あり、祭神は女體にて木像なり、八幡天神の二座を相殿とす、八幡は地頭所より祀る所なりと云、棟札の文によるに寛文五年の頃鎮座せしと見ゆ、社前に鳥居をたつ、例祭は九月にして、その日は時宜に従ひて定めり、村内第六天社及び杉山社と次第して年々一坐つつを祀れり、其式は平村に住せる神職小泉信濃が司る所なり、村持。
杉山社
字坂東の内丘の上にあり、これも村の鎮守なり、相傳ふ堀河院の御宇永長元年の勧請なりと、本社は宮作なり、覆屋四間に三間半東向なり、本地不動は木の立像にて長一尺五寸社中に安ず、これも村持。
秋葉社
これも八幡の邊にあり、わづかなる社にて前に石階あり、百姓持。
(金程村)
杉山社
東の方によりてあり、村の鎮守なり、棟札に寛文六年造立のよしを記す、これ鎮座の年なるにや、本社は丘の上にあり、三尺四方の宮造にして覆屋あり、二間に二間半、本地不動は木像にして長一尺ばかりの立像なり、又稲荷を相殿とす、社前に木の鳥居をたつ、例祭は年々九月二十一日、平村の神職小泉信濃司れり、平常には村持なり。(新編武蔵風土記稿より)
神奈川県神社誌による細山神明社の由緒
創立年月不詳。初め当社を勧請したとき地勢を計り社殿を東向きに建築したが、一夜にて自ら西向に変って居た。村民不思議に思い東向に直すと、又一夜にして自ら西向に変って居た。斯くする事三度に及んだが、一夜里正の夢に神託があり、「我社地は当村の東端にあれども社殿を東向に建てるは、村の背後と成りて鎮護の利に通ぜず、宜しくこれを西向に建て、氏子一円を前向となし、合せて西の方遙かに伊勢の方を向はしめよ。大門の逆なるは苦からず。」と里正夢さめて且つ驚き、村民に告げて西向のまま建てたという。世に「逆大門」と称し今に至る。(神奈川県神社誌より)
細山神明社の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 神奈川県神社誌