日ノ出嚴島神社。出来野弁天
日ノ出嚴島神社の概要
日ノ出嚴島神社は、川崎市川崎区日ノ出にある嚴島神社です。日ノ出嚴島神社の創建年代等は不詳ながら、鎮座地の稲荷新田は寛永2年(1625)より開発がはじまっていることから江戸時代前期以降の勧請と推定できます。当地鳥居前には出来野川の船着き場があったことから、出来野弁天と称されていたといいます。
社号 | 嚴島神社 |
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祭神 | 市杵島比売神 |
相殿 | - |
境内社 | 稲荷神社 |
祭日 | 10月28日 |
住所 | 川崎市川崎区日ノ出2-7-7 |
備考 | - |
日ノ出嚴島神社の由緒
日ノ出嚴島神社の創建年代等は不詳ながら、鎮座地の稲荷新田は寛永2年(1625)より開発がはじまっていることから江戸時代前期以降の勧請と推定できます。当地鳥居前には出来野川の船着き場があったことから、出来野弁天と称されていたといいます。
新編武蔵風土記稿による日ノ出嚴島神社の由緒
(稲荷新田)
辨天社
村の巽の方にあり、三間に二間例祭は毎年九月二十八日、村民持、
地蔵堂。社に向て右にあり、九尺四方、(新編武蔵風土記稿より)
神奈川県神社誌による日ノ出嚴島神社の由緒
創立年月等不詳。大正十二年九月震災により社殿倒壊、昭和三年三月再建した。(神奈川県神社誌より)
境内掲示による日ノ出嚴島神社の由緒
日の出嚴島神社の由来
此の地に建つ神社は日の出嚴島神社と称し祭神は
市杵島姫命を祭ってあります。又古くから出来野の弁天様とも呼ばれ地域の氏神様として崇められ親しまれてきました。初代のお社「やしろ」は総槙「マキ」造りで茅葺屋根の昔ながらの造りでしたが大正十二年九月の関東大地震で社が倒壊し現在の社殿は昭和四年に村人の力で再建されました。古くは江戸時代、一八〇八年十二月太田南畝(蜀山人)とも云う人が徳川幕府の命で多摩川の河川を調査した時の日記の中に「羽田から六稲荷の渡しを渡り江川の堀に沿って出来野辨天の前を過ぎる」と書き残されております。そして昭和四十年末頃まで境内中央に今でも残る銀杏の木の他に数本の巨木が天高く聳え子供達の良い遊び場ともなっていました。又当時は神社正面の鳥居の前は直ぐ海に繋ぐ出来野川の船着場で毎日海での漁に海苔採りに、船を操る人達で賑わっていました。そして遠く離れた海でその日の漁が終わり我が家への帰路に急ぐ人達にとって遥か遠く空高く聳えて見える嚴島神社の大銀杏の木が海で働く人達の心の安らぎとして帰路に着く道しるべに成ったことです。(境内掲示より)
日ノ出嚴島神社の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 神奈川県神社誌