水神社。川崎市川崎区殿町の神社

猫の足あとによる神奈川県寺社案内

水神社。江戸幕府より社領3石の御朱印状

水神社の概要

水神社は、川崎市川崎区殿町にある神社です。水神社の創建年代は不詳ながら、かつては川崎大師駅西方附近に鎮座、いつしか当地へ遷座したといいます。慶安元年(1648)には江戸幕府より社領3石の御朱印状を受領、明治維新後の明治6年には村社に列格していました。

水神社
水神社の概要
社号 水神社
祭神 天津罔象神
相殿 -
境内社 道祖神社
祭日 -
住所 川崎市川崎区殿町2-1-20
備考 -



水神社の由緒

水神社の創建年代は不詳ながら、かつては川崎大師駅西方附近に鎮座、いつしか当地へ遷座したといいます。慶安元年(1648)には江戸幕府より社領3石の御朱印状を受領、明治維新後の明治6年には村社に列格していました。

新編武蔵風土記稿による水神社の由緒

(稲荷新田)水神社
村の中程御朱印地の内にあり、石にて作りし小祠にて前に二間半に二間の拝殿をたつ、鎮座の年歴は詳にせざれど、慶安元年十一月二十四日社領三石の御朱印を賜ひしを以て見れば、其頃より古く立しは論なし、(新編武蔵風土記稿より)

神奈川県神社誌による水神社の由緒

新編武蔵風土記稿に「水神社、村の中程御朱印地の内にあり、石にて作りし小飼にて、前に二間半に二間の拝殿をたつ、鎮座の年歴は詳にせざれど、慶安元年十一月二十四日社領三石の御朱印を賜ひしを見れば、其頃より古く立しは論なし別当法栄寺」とあり、旧宮地は現今の川崎大師駅西方附近であったという。後、現在地に遷座したものであろう。明治六年十二月村社に列し、上殿町、下殿町、江川町の氏子三町の当番制により古来より祭典を執行している。昭和二十五年十一月十日未明火災により社殿全焼、同二十六年六月旧石の詞を安置して本殿とし、法栄寺にて焼失をまぬがれた旧御神像を、再び御神体として現在の社殿を再建した。(神奈川県神社誌より)


水神社の周辺図


参考資料

  • 新編武蔵風土記稿
  • 神奈川県神社誌