土橋神社。もと神明宮、明治40年に諸社を合祀して改称
土橋神社の概要
土橋神社は、川崎市宮前区土橋にある神社です。土橋神社の創建年代等は不詳ながら、神明宮と称していたといいます。明治40年に元土橋村内の神明社、八幡大神、八雲神社、稲荷社二社、荒神社、御嶽大神二社、神明太神宮、三嶋明神の十社を合祀、土橋神社と改称したといいます。
社号 | 土橋神社 |
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祭神 | 大日孁貴命 |
相殿 | - |
境内社 | - |
祭日 | 10月6日 |
住所 | 川崎市宮前区土橋1-10-2 |
備考 | - |
土橋神社の由緒
土橋神社の創建年代等は不詳ながら、神明宮と称していたといいます。明治40年に元土橋村内の神明社、八幡大神、八雲神社、稲荷社二社、荒神社、御嶽大神二社、神明太神宮、三嶋明神の十社を合祀、土橋神社と改称したといいます。
新編武蔵風土記稿による土橋神社の由緒
(下土橋村)
太神宮
村の北にて字大野原と村境の山間にあり、それより二町許を下りて木の鳥居を建、村の鎮守なり、例祭は年々八月十五日にて、平村の神主小泉信濃来り祭事を司る、正福寺持。
御嶽社
村西字牢場谷の丘上にあり、稲荷を相殿とす、木の鳥居を建、村内正福寺持。
御嶽社
同所にて正福寺の西に並びて是も正福寺持。
八幡宮
村の東馬絹村の境にあり、鳥居より社まで一町餘の坂なり、此道半は當村の地にて半は馬絹村の内なり、土人是を片大門と號す、八幡の社二社たてり、一社は馬絹村の持にて、一社は當村の内長坂鑓九郎が知行に屬せり、是は社地一畝免除地なり、例祭は九月十二日、百姓持。
稲荷社
村の中央にあり、僅なる祠なり、前に木の鳥居をたつ、正福寺持。
神明社
村の南にあり、僅なる祠なり。
稲荷社
同邊にあり、是も小祠なり。
三島社
字持田谷にあり、是も小祠にあり。
天神社
字原臺にあり、小丘の上に僅なる祠を建、是も小祠なり。
荒神社
村の中央小丘の上にあり、小なる祠にて南向なり。
第六天社
村の南にあり、小祠なり。(新編武蔵風土記稿より)
神奈川県神社誌による土橋神社の由緒
往時は神明社又は神明宮と称していたが、明治四十年元土橋村内の神明社、八幡大神、八雲神社、稲荷社二社、荒神社、御嶽大神二社、神明太神宮、三嶋明神の十社を合併して土橋神社と改称した。合併十社と同様に寛文以前の創立であるが、その詳細は不明である。安永五年九月の下組分限帳では明らかにその存在を立証している。御社殿は天保十四年八月に再建し、更に昭和四十八年四月二十八日現在の御社として御遷宮を奉仕した。(神奈川県神社誌より)
土橋神社の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 神奈川県神社誌