井田三舞稲荷大明神。青山甚右衛門が屋敷稲荷として江戸時代に建立
井田三舞稲荷大明神の概要
井田三舞稲荷大明神は、川崎市中原区井田三舞町にある神社です。井田三舞稲荷大明神は、青山甚右衛門が屋敷稲荷として江戸時代に建立したといいます。
社号 | 井田三舞稲荷大明神 |
---|---|
祭神 | - |
相殿 | - |
境内社 | - |
祭日 | - |
住所 | 川崎市中原区井田三舞町13 |
備考 | 個人所有 |
井田三舞稲荷大明神の由緒
井田三舞稲荷大明神は、青山甚右衛門が屋敷稲荷として江戸時代に建立したといいます。
境内掲示による井田三舞稲荷大明神の由緒
井田三舞稲荷大明神について
井田三舞稲荷大明神は、青山甚右衛門によって江戸時代の頃に屋敷稲荷として建立されました。社殿は欅の権現造りで、竜の彫刻と青山総本家の「丸に三つ割菊」の家紋を配しています。境内の敷地は約七十坪あり、個人所有のお稲荷様としては、中原区屈指のものといえます。現在の社殿は、昭和六十年四月に青山一族と地区の有志の合わせて十名によって約四〇〇万円をかけて改修されました。現在は、青山一族と地区の有志によって管理しています。
青山甚右衛門は明治初年の頃の実力者で、明治七年地租改正施行規則が布達された時この辺の代表として地租改正掛総代人に任命され、地租改正反別取調べを行ない金納制にするために大いに尽力しました。
また、社殿の南西側には、弘化五年(一八四八年)造立の庚申塔が立っています。そして青面金剛像の前には力だめしの石「さし石」があります。庚申青面は、庚申待ちにまつる神像で庚申待ちとは、庚申にあたる日の夜に行なう祭事のことです。江戸以来、この場所は庶民の社交の場であったと考えられます。(三舞稲荷講中掲示より)
井田三舞稲荷大明神の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 神奈川県神社誌