中野島稲荷神社。川崎市多摩区中野島の神社
中野島稲荷神社の概要
中野島稲荷神社は、川崎市多摩区中野島にある神社です。中野島稲荷神社の創建年代については不詳ながら、慶長年間(1596-1615)山城国伏見稲荷大社より勧請したとも、当地を開墾した田中休愚(1662-1730)が二ヶ領用水の堤鎮護の爲に勧請したともいいます。
社号 | 稲荷神社 |
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祭神 | 倉稲魂命 |
相殿 | - |
境内社 | - |
祭日 | 10月10日 |
住所 | 川崎市多摩区中野島1-16-2 |
備考 | - |
中野島稲荷神社の由緒
中野島稲荷神社の創建年代については不詳ながら、慶長年間(1596-1615)山城国伏見稲荷大社より勧請したとも、当地を開墾した田中休愚(1662-1730)が二ヶ領用水の堤鎮護の爲に勧請したともいいます。
新編武蔵風土記稿による中野島稲荷神社の由緒
(中野島村)稲荷社
見捨地、凡二段、村の坤にあり、相傳ふ昔田中休愚右衛門喜古新墾の企ありしとき、二ヶ領用水の圦を水上へのぼせ、堤をつきて葭沼を新墾せり、この時堤鎮護の爲に、當社を勧請せりと云、後享保年間、社再建の棟札あり、本社は小社にて前に拝殿あり、例祭九月十八日、観音寺の持。
末社。
秋葉社。本社に向て左にあり。
天神社。向て右にあり。
照信社。これも右にあり、照信明神と號す、照信は疱瘡神の異名なりとぞ。(新編武蔵風土記稿より)
神奈川県神社誌による中野島稲荷神社の由緒
勧請の年月詳かでないが、慶長年間山城国伏見稲荷大社より勧請したと云う。(神奈川県神社誌より)
境内の河除稲荷について
この稲荷は多摩川の堤防を洪水から守る為に造られた稲荷で河除稲荷(河守稲荷)と呼ばれるものです。
中野島六の二〇四二番地先にあったものを堤防の拡幅に伴い、昭和三十九年当神社境内に遷座し。此れを平成五年十月改築致しました。(境内掲示より)
中野島稲荷神社の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 神奈川県神社誌