馬絹古墳|梶ヶ谷古墳群の一つの円墳
馬絹古墳の概要
馬絹古墳は、川崎市宮前区にある名所旧跡です。馬絹古墳は、古墳時代終期(7世紀後半)に造立された墳丘直径約33mの円墳で、梶ヶ谷古墳群の一つです。盗掘されていて副葬品は発見できなかたったものの、白色粘土で装飾された全長9.6mの横穴式石室も残され、県史跡に指定されています。
名称 | 馬絹古墳 |
---|---|
みどころ | 神奈川県指定史跡 |
入場時間 | - |
入場料 | - |
住所 | 川崎市宮前区馬絹994-10 |
備考 | - |
馬絹古墳の由緒
馬絹古墳は、古墳時代終期(7世紀後半)に造立された墳丘直径約33mの円墳で、梶ヶ谷古墳群の一つです。盗掘されていて副葬品は発見できなかたったものの、白色粘土で装飾された全長9.6mの横穴式石室も残され、県史跡に指定されています。
川崎市教育委員会掲示による馬絹古墳について
馬絹古墳
馬絹古墳は、環状の墳丘の直径が約33m、高さが北側で約3m、南側で約4.5mほどの円墳です。墳丘の周りには幅約3.5m、深さ約1.5m前後の溝がめぐらされています。
この古墳は、まずローム層(赤土)まで掘りこみ、遺体を安置する石室を組み立て、その外側に赤土と黒土とを順序よく噛ま覺積み上げてつくられています。また墳丘の表面には、手のひらほどの大きさの河原石が敷きならべられていました。
石室は、全長が9.6mもある大形の横穴式石室で、内部は3つの部屋に分けられています。この石室は、四角に切った泥岩を組み合わせながら、天井に向けて少しづつせばめて積んでいく「持ち送り式」という技法で、ていねいにつくられています。そして石が接合する部分には、白い粘土が帯のように塗られており、ほかにも同じ粘土を使って、まるい形や今では形がはっきりわかりませんが、何らかの模様が描かれていたようです。
馬絹古墳がはじめて発掘された時には、すでに遺体は残っていませんでしたが、鉄の釘が発見されていますので、遺体は木でつくった棺に入れられていたと思われます。しかも鉄釘は79本もありましたので、棺は1つだけではなかったようです。ただ、遺体といっしょに置かれていたと思われる品物(副葬品)は、盗掘されて持ち去られてしまったようですので、馬絹古墳がつくられた年代などがわかるはっきりした証拠は不足していますが、石室の形やつくり方、設計の方法などから、7世紀の後半ごろにつくられたと考えられます。
これらは、昭和46年の発掘調査や平成2年の保存整備調査などによって明らかになりました。そして、馬絹古墳は古墳時代の終わりごろの様子を伝える重要な古墳として、昭和46年12月21日に神奈川県の史跡に指定されました。(川崎市教育委員会掲示より)
馬絹古墳の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 神奈川県神社誌