子母口貝塚|子母口式土器出土・縄文早期の貝塚
子母口貝塚の概要
子母口貝塚は、川崎市高津区にある名所旧跡です。子母口貝塚は、当地にある子母口貝塚第1貝塚を含む4か所の小貝塚から構成される地点貝塚で、縄文時代早期・前期の貝塚です。縄文時代早期から前期にかけては、気候の温暖化により海岸が現陸地より食い込む縄文海進であったことから、当地周辺からは、影向寺裏貝塚・新作貝塚・大原貝塚・久本貝塚など数多くの貝塚が確認されています。また、子母口貝塚から発掘された縄文式土器は、約8,000年前の土器で「子母口式」と呼ばれる標式土器となっており、子母口貝塚は神奈川県史跡に指定されています。
名称 | 子母口貝塚 |
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みどころ | 神奈川県指定史跡 |
入場時間 | - |
入場料 | - |
住所 | 川崎市高津区子母口54-148子母口公園 |
備考 | - |
子母口貝塚の由緒
子母口貝塚は、当地にある子母口貝塚第1貝塚を含む4か所の小貝塚から構成される地点貝塚で、縄文時代早期・前期の貝塚です。縄文時代早期から前期にかけては、気候の温暖化により海岸が現陸地より食い込む縄文海進であったことから、当地周辺からは、影向寺裏貝塚・新作貝塚・大原貝塚・久本貝塚など数多くの貝塚が確認されています。また、子母口貝塚から発掘された縄文式土器は、約8,000年前の土器で「子母口式」と呼ばれる標式土器となっており、子母口貝塚は神奈川県史跡に指定されています。
川崎市教育委員会掲示による子母口貝塚について
子母口貝塚
子母口貝塚は、四つの小貝塚が台地の縁辺に占地する、いわゆる地点貝塚です。ここから発掘された土器は、縄文時代早期の「子母口式」(約八千年前)の標式土器になっています。
子母口式土器の表面には、貝殻の肋脈を利用してつけた貝殻腹縁文や、ひもを棒に巻いて押しつけた絡縄体圧痕文などが認められ、器形は縄文時代早期の特徴である底の尖った深鉢形をしています。
貝塚からは、石鏃(矢じり)や木の実などを磨り潰すための磨石などの石器、鹿の角や骨から作った尖頭器(槍の穂先)や錐などの骨角器なども発掘されています。
貝塚を構成する貝類としては、マガキが最も多く、ヤマトシジミ、ハイガイ、オキシジミなども混じっており、また貝層中からは、スズキ・クロダイ・マダイなどの魚骨やニホンジカなどの骨なども発掘されています。これらの資料から、私たちは子母口貝塚人の食生活の一端を知ることができます。
本貝塚周辺の丘陵上には、影向寺裏貝塚、新作貝塚、大原貝塚、久本貝塚など縄文時代早期から前期にかけての貝塚が点在しています。つまり、この時期には地球的規模で気候が温暖化して極地の氷河が溶けて海面が急上昇し、この丘陵近くまで海岸線が入り込んでいたと考えられています(縄文海進)。
この重要な貝塚は、昭和三十二年二月十九日に神奈川県の史跡に指定されました。(川崎市教育委員会掲示より)
子母口貝塚の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 神奈川県神社誌