遍照寺。東海三十三観音霊場
遍照寺の概要
天台宗寺院の遍照寺は、光明山無量院と号します。遍照寺の創建年代は不詳ですが、新編武蔵風土記稿が編纂された江戸時代末期に遍照寺の住職が74代目であったということから、古くより当地にあった古刹と考えられます。東海三十三観音霊場3番です。
山号 | 光明山 |
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院号 | 無量院 |
寺号 | 遍照寺 |
本尊 | 阿弥陀如来立像 |
住所 | 川崎市川崎区中島10-22 |
宗派 | 天台宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | 東海三十三観音霊場3番 |
遍照寺の縁起
遍照寺の創建年代は不詳ですが、新編武蔵風土記稿が編纂された江戸時代末期に遍照寺の住職が74代目であったということから、古くより当地にあった古刹と考えられます。
新編武蔵風土記稿による遍照寺の縁起
(中島村)八幡社(中島八幡神社)別当遍照寺
村の東にあり。天台宗寛永寺末光明山無量院と号す開山詳ならず。されど同寺に蔵せる寛永十九年七月三日天海僧正よりあたへし書あり。其文に武蔵国橘樹郡河崎中島村光明山遍照寺無量院者、雖為八幡大菩薩(註:中島八幡神社)敷地古迹之寺院、今度令改補豊島郡江戸東叡山直末云々、又寺伝に今の住僧まで凡七十四に及べりといへば、何れ古き寺院なるべし。本尊弥陀立像長二尺五寸、閻魔の坐像長三尺及び九王の像各長一尺なるを安せり。客殿三間四方西向なり。(新編武蔵風土記稿より)
遍照寺の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿